110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

日本はさざ波、五輪中止とか笑

「日本はさざ波、五輪中止とか笑」内閣参与の投稿に批判
5/10(月) 14:52配信 朝日新聞デジタル
 新型コロナウイルスの感染状況や五輪開催をめぐり、内閣官房参与を務める高橋洋一・嘉悦大教授が9日、ツイッターで世界各国の感染者数を比較するグラフとともに「日本はこの程度の『さざ波』。これで五輪中止とかいうと笑笑」と投稿した。日本の感染者数の低さを示すためとみられるが、ネット上で反発が広がっている。
 このツイートに対し、「ウチの母親も『この程度のさざ波』の中で亡くなったんですよ」「一人ひとりの命が失われていくことに対し、笑笑って…人の命をなんだと思ってるのですか」などの批判的なコメントが相次いだ。
 高橋氏のツイートについて加藤勝信官房長官は10日の記者会見で、「個人としての発言で、政府としてコメントは従来差し控えている」と説明した。記者団から高橋氏が内閣官房参与を続けることが妥当かどうかを問われると、加藤氏は「高橋参与は経済、財政政策に関して意見を述べていただく非常勤の職だ。それにのっとって対応していただくことが非常に大事だ」と述べるにとどめた。
 高橋氏は元財務官僚で、菅義偉首相就任後の昨年10月、内閣官房参与に任命されている。大型連休中の今月4日にも、首相公邸で首相と面会している。
 新型コロナをめぐっては、国内の死者数は4月に1万人を超え、感染者数も9日時点で64万人以上にのぼる。医療体制が逼迫(ひっぱく)し、病床が足りなくなっている地域では、自宅待機中に死亡する事例も続出している。(菊地直己) 

私は、純粋に自粛派で、高齢者の母親の介護もしているので、高齢者は寿命だから死んでも良いみたいなコメントは嫌だけれども、この話題に出ている 高橋洋一氏は、YouTubeの画像も見たことがあるけれども、そういう人だもの、目くじら立ててもしょうがないと思う。

筋金入りの、数学論者なので、きちんと聞けば、論理的(数理的)に説明してくれると思う。

ただし、その論理による見解と、倫理的・宗教的・感情的な価値観による見解とが相容れないことがあるということをわきまえていれば良いように思う。

世論がいとも簡単に1対99みたいな、極端な状態になることがあれば、その方が(ファシズム的で)心配だ。

追記(2021/5/12) 高橋氏の追加の説明が出たので、引用する。

高橋洋一内閣官房参与、「五輪中止…笑笑」ツイートは「非合理な決定をしたと日本が世界から笑われる、という意味」
5/12(水) 8:34配信 スポーツ報知
 内閣官房参与で経済学者の高橋洋一氏=嘉悦大教授=が11日、自身のツイッターで「今日の高橋洋一チャンネルは第160回『波』発言で炎上。謝罪要求する一部のマスコミさんへ。是非見てください」とつづった。
 高橋氏は9日、ツイッターで各国の新規感染者数のグラフを引用し「日本はこの程度の『さざ波』。これで五輪中止とかいうと笑笑」と投稿し、野党、SNS上などから「不謹慎」「人命軽視」などと批判の声が上がった。
 ツイッターでは、更新した自身のYouTubeチャンネルをアップし、今回の「笑笑」とつづったツイートについて説明した。高橋氏は「誰が笑笑っていうことなんだけど、こういうふうな感染のない状態で仮に日本が中止っていうことを言ったら世界から笑われるだろう、と意味です」と説明した。
 さらに、この意味を「細かく説明する」とし「オリンピックの開催権はIOCにしかない。日本は会場を提供しているだけ。仮に日本の理由によって会場提供している人が中止って言ったら、主催者のIOCから巨額の賠償金が請求されるっていうことです。たぶん数千億円」などと述べた。
 続けて「IOCと日本が今、どういう風にやり方を協議しているかっていうと最低ラインを無観客でやる。だから今のオプションは無観客でやるか中止するかのどちらか。中止すると数千億払うでしょ。常識的に考えれば無観客でやるっていうことなんです」とし「IOCは無観客でも放映権が取れるから、IOCから中止を言うことはない。日本政府だってこういうこと知っているから言わないだけ。日本が中止って言ったら数千億円の賠償金が派生する」などと繰り返した。
 こうした背景から「この段階で中止って言ったらなんて非合理な決定をしたんだろうって世界から笑われる」などと説明していた。
 高橋氏は経済・財政政策を担当する参与として、菅義偉首相に助言を行う。首相は10日の参院予算委員会で「個人の主張についての答弁は控える」と述べた。

私は、以前に全然別の視点で書いたけれども、ここで中止なると、オリンピックは当分日本ではできない、今世紀中はない可能性も高いだろうし、それだけの国力もなくなるかもしれない。

だから、20世紀、戦後の日本の様に、法律はなくとも、他国からは、社会主義のように見えても、異常な国民の協力の下で、コロナ禍を抑制して、開催しても良かったのではないかと思ったし、コロナ禍が起こる前の日本はマスコミの扇動もあったがそんな国民の風潮だったのに、今は、ころりと宗旨が変わったかのような動きを見せている、いわゆるコンティンジェンシープランということなのだろうが、どうだろう?

まぁ、後世が判断することだと思うが・・・?