110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

「デマ投稿」有罪確定…インターネットの厳格化に若新雄純「社会から“共”的空間が減っている」

「デマ投稿」有罪確定…インターネットの厳格化に若新雄純「社会から“共”的空間が減っている」
9/23(木) 21:11配信 TOKYO FM
市川美絵がパーソナリティをつとめるラジオ生放送番組「Seasoning~season your life with music~」。9月9日(木)の放送は、木曜レギュラーパートナーの若新雄純(慶應大学特任准教授などをつとめるプロデューサー)が登場。最近起きたニュースを独自の視点で解説するコーナー「若新雄純の『色メガネ』」では、「デマ投稿者の有罪確定」について取り上げました。

◆デマ投稿者の有罪確定へ…若新が思うこと
神奈川県の東名高速道路で、2017年にあおり運転により夫婦が死亡する事故が起こりました。この事故を巡り、実際は無関係である会社の関与を示唆するデマ情報をインターネット上に書き込んだとして、最高裁第1小法廷は名誉毀損罪に問われた被告の上告を棄却する決定をしました。

本件に限らず、インターネット上では事実である確証のない憶測の投稿が散見されるだけに、若新は「今回のように、(デマ投稿で)有罪が確定するケースが増えてくると思う」と推測します。
例えば、自宅のリビングで家族や友達といるときに、テレビ画面に映っている人を観てののしったり、憶測で悪口を言ったりしても、「人間としていいことではないが、罪には問われない」と説明。一方、公の場でデマを言ったり、悪口を書いたプラカードなどを掲げた場合、侮辱罪や名誉毀損で訴えられることもあります。そのため、「公の空間では、みんな(自分の顔をさらしてまで)そんなことはあまりしていないと思う」と言います。
片やSNSなどのインターネット空間はと言うと、若新は「社会にはプライベート(私)とパブリック(公)の間に、“共”というふんわりした空間があるらしい。よく公共の空間と言われるけど、公共は公と共で成り立っていて、インターネットは、まさに“私”でも“公”でもない“共”の世界観だと思っている」と持論を展開。
「共の空間は、昔の空き地や公園のようなもので、公の空間ほどは完璧にルールが決まっているわけではないが、みんなでなんとなくゆるく決まり事などをつくったりして楽しむもの。インターネット空間は、まだ法整備が完璧に行き届いていないし、まさに公共の中のかなり“共”よりの空間。だけど、(匿名の書き込みで)顔がわれるわけではないので、リビング(などの私的空間)の延長線上で考えてしまっている人も多かった」と推察。
インターネットのような本来は“共”的であった空間については、「厳しいルールがあるわけではないけど、みんなでお互いに(マナーや節度を)ゆるく守ることで成立していた。ところが、今回の(デマ投稿の)ように秩序を壊す人が現れすぎると、ふんわりとして心地良かった“共”の空間が、“公”のほうに行くと言われている。最近まちなかの公園はルールが厳しくなりすぎて、ボール遊びや水道の使用などが厳格になりすぎたことで、共から“公”よりになりすぎた」と話します。
デマ投稿や誹謗中傷などが問題視され、インターネットも徐々に厳格化されてきていることについては、「共から公に変わりつつある。インターネットがもっともっと公的なものになれば、(特定可能な)IDを持っていないと書き込めない、すぐに法律で(該当者の割り出しに)動くなどといった感じになっていくのでは」と言及。
公的空間としてルールが厳密に定められていることで、「もちろん、個人を傷つけないようにするという点では必要な部分もあるが、安全になり、事故も起こりにくくなり、迷惑行為も減るけど、社会のなかの余白がなくなり窮屈になっていく。(秩序を乱すことで)社会から“共”という“私”と“公”の間(の居心地のいい空間)が減っていくことが、いいことなのかということを、よく考えないといけない。公的空間はルールによって運営できるが、共的空間は人々の学びや配慮がないと成り立たない貴重なものなのだから。綺麗事かもしれないが、インターネット空間に必要なのは、ルールより学びなのではないか」と最後に投げかけました。
(「Seasoning~season your life with music~」2021年9月9日(木)放送より)

若新雄純は自分の見えている範囲で公共がなくなると警告を発しましたが、すでに、その公共というものは崩れてしまいました。

一番、象徴的なのは歩きスマホでしょうね、自分の家や私有地内で歩きスマホするのは問題はないですが、公共の場では問題があります、たぶん、公共の場、例えば、歩道を歩いている時に他人に迷惑を掛けないように気を使っていたら、ほとんどの人はスマホを見ていられないでしょう、それが、明らかに崩れている、その延長に本件はあるだけです。

また、この根は随分と深くて、例えば、かなり前ですが、コンビの駐車場でたむろして騒ぐ、若者などが社会的な問題になることもありましたが、これも、同様に、コンビニの業者など他社の私有物を私的に利用することについて、配慮が足りないことに起因します。

自分の家を少しでもキレイにしたいのか、収集日でもないのに、勝手にゴミ出しするような人も、散見しますが、これも、公共性がない事例です。

大変残念ですが、すでに、我が国の、ある年代から以下では、公共性は崩れています。