歩くこと
このブログの始まりは自分の歩行記録をつけることだった。
当初は、いつか100㎞を歩くんだという漠然とした目標を持っていたのだが、はじめてそれを達成したときは、自宅(東京都新宿区)から(群馬県高崎市)高崎駅の間だった(その時の記録もこのブログ内に残っている)。
その後も何回か100km超えの歩きをやったりもした。
(だから、TVのチャリティ系100kmマラソンの「嘘くささ」は良くわかっている、24時間あれば余裕で100km「歩ける」からね)
まぁ、それも過去のことで最近は介護にかこつけて、歩いていないので、半分の50kmでもきついだろう。
その50kmという距離も一時期は毎週深夜にかけて歩いていたことがある。
自分でも不思議なのだが、走るのは嫌だが、歩くのは苦にならないのだ。
まぁ、変な性格だということなのだが、仕方がない、自分でも良くわからないのだ。
ところで、今回の趣旨はそれとは異なる。
例えば、現在の介護から解放されて、時間に余裕ができたら、前の様に歩くだろうかということをふと考えて見たのだ。
答えは、「たぶん、前の様には歩かない」だ。
前は、夜(深夜から早朝とか)に歩くことが多かったのだ、それは、特に夏場に効いてくるのだ(このことの説明は不要だろう、でも、10年前とは夏の暑さそのものが違うのも気になるところではあるのだが)。
そして、夜歩く時に、結構重宝したのがコンビニで、当時は平気で24時間営業だったし、今みたいに、夜行くとおでんとか揚げ物系などの食べものが少ないということもなかった。
当然トイレも借りれるし、いわゆる、給水、栄養補給の拠点として最適だったのだ。
それが現在は、深夜は営業しないとこともかなりあるのではないかと思うのだ。
そして、もう一つは、治安だ。
一応、東京は安全な都会ということなのだが、以前よりも、普通に見える人の犯罪が増えたように思う。
しかも、例えば深夜だからほとんどの人は寝ているだろうという仮説すら、現在は成り立たない様に思う。
更に、(これは差別ととられると思うのだが)外国人も増えていて、意図しないところで彼らの禁忌に触れたりすることもあると思うのだ。
いわゆる「多様性」が進んだという事だろうが、それが、一つの恐怖になっている。
以前も、日本では夜中に女性が独り歩きしていることに驚愕する外国の人がいたのだが、現在の状況では私も驚愕してしまう。
だから、再び歩くにしても、なるべく明るいうちに歩く様になるのではないのかと思うのだ。