110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

少子化の教育

米原万理は羨ましいほどの読書家であった。

その著作には、その膨大な知識が誇ることなく滲み出てくるという、稀有の存在であった(山本夏彦も文体は全然違うのだがそんな感じがする)。

ただし、惜しむらくは、既に故人であるということなのだ。

昨日「米原万理ベストエッセイⅠ(KADOKAWA)」を読んだのだが、この中に現在の少子化の教育法で参考になりそうなところがあった。

それは「遠いほど近くなる」というくくりの中の「パリの日本人」という表題にあった、ここで同業(翻訳家)の辻由美さんについて、彼女がフランス語を習得したときの話がされていて、「初級コースの頃は、ヨーロッパ系の、とりわけフランス語との言語的姻戚関係が濃いロマンス語系の言語を母語とする学生が飛びぬけてできる」、そう、イタリヤ人やスペイン人は出だし好調だとしているのだ、そして、この基礎コースをなんとかクリアした辻さんだが、まだまだ不十分だと思い「学校側と交渉して、もう一度初級コースの受講をする」のだ、その結果「初級を徹底的にやったおかげで、中級、上級は大変楽になりました。面白いことに、初級を軽々とこなしていたイタリヤ人やスペイン人、ポルトガル人の成績が、一向思わしくないのです。彼らの多くが途中で脱落していきました。…」

自分も最近思い当たる節がある、中学の頃から今までギターを弾いている。

一向に上手くならない、長年やっているからという不穏なプライドだけはあるので先生について習う気はない。

ところが、ここ数年、なんとなく基礎からやり直し始めた。

今までは、教則本が3冊組だと一番初めのレベル(基礎編)は、長くギターを弾いてきたから「できている」と思い込んで買わずに2冊目(中級編など)から始めたりしたのを、遅ればせながら、その基礎編を入手してやりはじめたり、弾けないとストレスがたまるメトロノームに合わせるようにしたり、しかも、情けないほど、遅いテンポから練習曲を弾くようにしてみた。

そうすると、なんと、もう58歳なのに、徐々に、進歩するようになった。

そうなると現実が把握できて、こんなに長く弾いていても、未だに中級とは名乗れないことが自覚できたりしたのだ。

さて、表題にもどろう、結論は先ほどの本にある「遠いほど近くなる」が、端的に表している、遠回りして良いんだ、何を?、基礎がきちんとできるまでね。

だから、最近の見かけ上は麗しい、高等教育の無償化などで肩書を上げること、それも、ある意味モチベーションを高めることにもなるが、逆にプライドだけが向上してしまう人も結構あるのではないだろうか?

それよりも、本人が望むなら、何年でも基礎教育(小学校や中学校レベル)ができるシステムを採用したら、本当に地に足がついた人材をたくさん育てられるのではないのかな?

大人たち(役人)は数値化しやすい方に舵を切る傾向にあるようだ、たとえば、大卒が××人増えたというように、しかし、実をとるつもりなら、基礎力が高い人間をきちんと育てたほうが、その後の成長に大きく寄与するのではないだろうか?

まぁ、無理そうだね、エリート達には、基礎なんて瞬間でクリアしてしまえるだろうからね。