桃井和馬…心の時代を見て
https://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2019-12-07&ch=31&eid=19602&f=424
彼が体験した戦場や飢餓地帯での経験から得たものそしてそれを今の若い世代に伝えようとしている事は大変参考になった。
人間は善い生き物ではない、もし、食糧が無くなってごらんよ、昨日前までの紳士淑女が恐ろしい姿を見せるから。
今、結構非難されている「老人世代(戦時中や終戦後十年程度で生まれた人も)」は、そういう人間の状況を経験していると思うよ。
だから、世の中の見え方も異なる。
そこには、人間と言うものの中にいる得体の知れないある意味いやらしいものを見たことによる何かがあるはずだ。
残念ながらこの日本という国では平和ボケと言われている状況の中で、それ(人間の本質ともいう事)を体験することも見つめることも容易ではない状態だね。
生後4か月の長男を虐待死させた石谷氏が「今回、発覚していなければ虐待を続けていたと思う」という供述をしたという記事があり、そのコメントには「人間とは思えない所業だ」というものが多いのだが、実は、そのコメントをした人々のその面(つら)の皮の下には彼と同じ残虐性が隠されているのだ。
相手が人間だから同情するのだろうが、私たちは生き物の殺害に関しては全く平然とこなしている、微生物に至っては99.9%除菌などという洗剤のフレーズに喜々とする始末だ。
そして、身近な清潔性はもとより、その思考、他の生物の破壊・殺戮は、途方もなく長い年月を掛けて整えてきた地球環境すらも変えてしまっている。
それは、爪に火を点すように蓄積した資源を物凄い勢いで消費しようとしていることでも明らかだよね。
だから、現在は、地球の歴史上何回目かの生き物が大量に死滅している時期である。
当然、原因は人間によるものだ。
それで良いのかというと「良くない」と言う、しかし、この平和な暮らしも壊したくない。
だから、私は車は使わずに歩いたり、レジ袋を貰わない様にしたりはする、でも、やっぱり情けない(自己満足な)状況でしかないね。
いつか、ブログに書こうとしてことがある「日本でも貧乏な人は幸いである、何故なら、それだけ環境に優しい生活をしているはずだから」と…ね、どうかな?
そうそう、TVではスペインでの巡礼1000kmを歩くことを一つの事件として取り上げていた、確かに、素敵な光景で、私もあんなところを歩きたいと思ったのだが…
でも、それは日本でも歩けるよ、遠くに行かないと、環境が変わらないとわからない、というのは、何か、自分に目隠しをしているだけなんじゃないかな?と思ったね(桃井さんには申し訳ないけれども)。
まぁ、10年ぐらい前は(自分の家の周りだけれどもね)、結構歩いていた経験からすると、身近なところにも、探しているものはあるのではないのかな。
たとえば絶景のスペインも、日本のここいら辺も実は同じなんだよね。
違うのは「自分」だと思う。
ああ、ふと思い出した、これは、「犬神」という漫画のイメージと似ているね、まだ、引きずっているんだな。