110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

雑感

今、放送されている「コヘレトの言葉」というTV番組があり、それが、現在のコロナ禍の中でどう考えて行けば良いのか、その導き役をしているようなので、興味深く見ている。

その中で、これは、一神教だからということでもあろうが「神を畏れる」という言葉が出てきた、頭の良い人は、先程も上げた、ユダヤ教キリスト教イスラム教は、一神教だからそういう考え方になるんだ、日本人の多数派ではないと、あまり深く考えないで却下してしまうかもしれない。

私も、日本人の端くれなので、キリスト教などよりも、仏教の方が多少興味があるのだが、それでも、言葉は違えども似たような思いをすることがある。

今回の放送を見ていて感じたのが、この「神を畏れる」という言葉で、現在のコロナ禍で、多数の人が多数の見解(コメント)を述べている、その代表的な考え方は、経済重視と感染対策重視の2つの視点から見たことだろう。

もう、1年以上におよぶこういう議論、まぁ、ヤフコメが多いので、その内容の粗密はさておき、気になるのことは、自分の主張を客観的に見せようと、数字を出してくる意見が結構あることだ。

年間で、肺炎で死ぬ人は☓万人、インフルエンザでは☓万人、コロナは・・・・、コロナで死ぬ人は高齢者で80歳以上が☓%、他国ではコロナ感染者が☓万人に対して、日本は☓万人とか、比較しているのだが、それらの数字を吟味すると、相対的なものが多く、例えば、年間で肺炎で死ぬ人が10万人いるから、10万人まではコロナで死んでも構わない・・・という理屈は、正しいのか?ということが置き去りにされているように思う。

さらに、私が一番嫌悪する言葉は、「コロナで死ぬ人は高齢者が多く、彼らは寿命なのだから仕方がない」というもので、いつから、このコメントをする人は他人の寿命がわかるようになったのだろうかと、怪しんでいる。

そう、コメントをする人の中に、多分本人も意識しないで紛れ込んでいるのが「神の視点」なのだと思う、統計上の数字をもとに、大胆に予言するコメントもあるのだが、その統計というやつが、現実の結果から離れてしまうことがあることは、そういう統計処理をする人であればご存知のことだろう。

だから、そういう「神の視点」を排除したところに、自分の意見を組み立てて欲しいと思っている、そうすれば、いかに、軽々しくコメントすることが難しいかに気づくだろう。

例えば、経済的に圧迫されているから、「これから自殺者が増える」という予言の言葉をなんの前提もなく書き込む人がいる、この言葉と例えば「本日は全国で108名がコロナで死亡した」という事実とを、どう折り合わせるのか、そういう視点が伺えるコメントが少ないように思う。

一つの回答例としては、「私は経済を回すことを最重要だと考えている、だから、コロナで1日に108名死のうと関係ない、なぜなら、それにより、自殺者が☓名増えると考えられる、これに対する、医療関係の損失等を考えれば・・・」と順を追って記せば良いのだが、相当な長文になることは間違いないし、そういう問題なのだ。

このように、紋切り型で、深い考察が伺えないコメントが少なくなれば、多分、この国ももう少し良くなっていくのだろうが、結構多数の方が、そういうことを面倒だと思っているようで、残念なことになっている。

そして、そういうことの延長が現在の政府の対策なのだと思う、人が変わっても、政党が変わっても、大きな変化は望めない。

 

あとは、「不要不急」という言葉の意味は何かということも、問題としたい。

飲食業の中で「不要不急」なものはないのか、イベントもそうだが、「不要不急」ではないのか、旅行も「不要不急」ではないのか、そもそも、外で、飲み食いしたり、旅行したり、イベント行ったりしないと、生活できないというのは、本当のところ、どういうことなのだろうか?

そういうものが、経済規模を拡大していたとすると、その国は、相当な(経済的)贅肉がついている国ではないのか?

これが、未だにわからないことではある。