110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

最後の努力(塩野七生著)

 「ローマ人の物語」の第13巻目、物語も佳境に入ってきた感じがする。
 明らかな「結果(事実)」としての「滅亡」と、その「原因」としての「事件」は、当然の事ながら別時点で発生している。
 簡単に言えば「因果」によって引き起こされるという事になる。
 そして、「人間」が死ぬ事により「忘れ去られる」ものであるのに対して、「宗教(「思想」もそうかもしれない)」は、その人が死んだ後も「継続される」ものである事も(良く)考えなければならない事と思う。

 前巻の最後に「ディオクレティアヌス」が皇帝になり、ローマの平和を守るために取った政策が「二頭政」であり、その発展形の「四頭政」である。これは、ローマ帝国内を防衛線を基準に4つの領域にわけ、それぞれに権限を与えた皇帝(もしくは副将)が4名で統治するというシステムである。これは「外敵」の防衛には効果を発揮しその面で「平和」はもたらされた。しかし、4つの皇帝による4地域の管理をすること、しかも、それぞれ「防衛線」に近いところに(暫定?)首都をおくというような方式は「防衛面」では効率的かもしれないが(これは、蛮族の進入を許した3世紀のローマ帝国の痛い経験に対応したために考え出されたためだろうが)、それはまず、軍人の数を増加させた。そして、それは明らかにな税収不足に陥るので、帝国内で必要な「予算」を策定し「直接課税」する方式に「税制」が変更される。そのためには「徴税」する人が必要になり、そのための「公務員」が増加した。そして、それは更なる「歳入」を必要とするという図式になるのだ、「ローマ市民」も黙ってはいられないはずだが、国力が落ちているのか「沈黙」している。更に、この時期「ローマ帝国」の大きな特徴の一つである「元老院」が実質骨抜きにされる。一つは「元老院」議員の軍事関係のキャリアへの登用の停止であり、そしてもう一つは「法律」の承認権限の剥奪だ。これにより「皇帝」は自分の思い通りに「法」を提出し施行させることが出来る様になる(さらに「武力」も持っている)。この時期に「ローマ帝国」は「絶対君主制」に変貌した。
 これらの動きは、国力の低下に対応する「理性的」な判断であるとも思われる。冷静な皇帝と思われる「ディオクレティアヌス」は、この「四頭政」がある程度軌道に乗ったところで「引退」を表明する。
 ところが、引退後「四頭政」は、あっけなく破綻する。「ディオクレティアヌス」下の「四頭政」は、彼の元に他の3人が従属する形態だったが、その主体がいなくなるや「同等」の立場になったための「覇権争い」がはじまったのだ。
 そして、最後に勝利するのが「コンスタンティヌス」である。「四頭政」ならまだそれぞれが牽制することも出来るが「絶対君主制」に移行しての権力の集中については「脅威」以外のものは無い。そして、彼は、ここで、首都を「コンスタンティノーブル」へ「遷都」し、「キリスト教を擁護」し、「金本位制」にし、今までの「国境の防衛線(リメス)」を実質廃止したのだ、あたかも、「ローマ帝国」は異教だから「その国民」はどうでも良いと言わんばかりに・・・・
 ただ、皇帝「コンスタンティヌス」が明らかにキリスト教に傾倒していたという事ではない。利用しようとはしていたのだろうが、また、当時のローマ帝国の人口に対する「キリスト教信者」も5%程度だと言われており、当時はその影響力も自覚されなかったのでは無いかと思う。
 だが、その様な「小さなこと」が「歴史を動かす」発端になるのだろう。

 さて、最近「核」という言葉が目に付くようになった。ほんの、10年くらい前は「タブー」だった言葉だったと記憶している。「言葉」の重みも変わってきているのだろうか?