110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

うーん

 Y!に、こういう表題”「年寄りは死ねというのか」年金減額は憲法違反ーー全国の「年金受給者」が提訴”があって、下のほうにコメントがある、大抵は老人は年金貰いすぎで将来の若者のことを考えていない風のコメントに多数の肯定が集まるのだ。

 何かおかしく感じた。
 年金の受給額や規定は政府と年金受給者の間のある種の契約であるから、高いの安いのを受給者=高齢者の問題とするのはおかしいように思う。
 すなわち、若者が直接指弾すべきなのはシステムを変革できない政治家なり実行部隊である官僚公務員に向けるべきだ。
 少し前に、大阪都構想が若者向けの思想であったのに僅差で敗れたのは、高齢者が反対したのもさることながら、その僅差を埋められなかった現役世代にも問題がある。
 社会を動かすには、特に既得権益に対抗するには大きな労力が必要でありそのために結束することも必要だろう、残念な事例としては20世紀の安保闘争があったのではないか?

 また、将来にわたって、医療・介護など高齢者サービスがGDPのうちの大きな比率を占めてきたとして、果たして年金の多寡を論議できる状況になるのだろうかといささか一方的な高齢者非難に危険を感じている(老人のケアサービスを職業とする者が老人は年金貰いすぎだというのは幾分矛盾もあるわけだ)。
 

 だから、ずっと気にかけているのは深沢七郎が「楢山節考」のおしんさんが好きだと言ったことだ。
 
 身近にいるお年寄りを「年金貰いすぎやがって」みたいなレッテルを貼ってみるのではなく、彼らは年金システムの単なる受給者であることを認識したほうが良さそうだ、どうみても、後期高齢者が意図的に工作などできるわけないではないか?
 以前、年金から後期高齢者保険料を天引きに法改正されたとき、愚痴は出ても彼らは受け入れるしかなかったのではないのか?

 本当に見つめなければならない対象がずらされているのではないか?