私だけの違和感かな
テレビを見ているときのこと、石原裕次郎記念館の閉館に伴って、石原裕次郎、まき子夫婦の馴れ初めの紹介があった。
その中で(今では稀有なことだろうが)文通をしていたということで、その時の便箋に書かれた文章が映し出されて、ナレーターがその一部を読み上げた。
で、そのナレーターの読み上げたところがクローズアップされて表示される?のだが、それが、当の便箋の該当部分を写すのではなく、それを活字化された文章だった。
たぶん、これ作った人も、見ているほとんどの人も、違和感を覚えなかっただろうし、そんなに目くじらたてるほど重要ではないのかなとは思うのだが・・・・
文通に使われた便箋も写されており、結構綺麗な文字で書かれているなぁというイメージだった。
字が汚いから、アップに耐えないという印象ではなかった。
それではと、穿った見方だが、この(手書きの)文字が読めない人が多いのではという配慮なのだろうか?
これはとてもまずいような気がする。
確かに手書きすることは極端に減ってはいるのだが・・・
あと、字にはその人の人柄が出るとも言うしね。
そういえば、手書きだと途中でやり直しできないよね。
それしか手段がないから仕方なかった、という考え方はあるけれども、そういう人は事前に、下書きを作ったり、頭の中で内容を組み立てたりと、準備をするよね。
そういう、事って意外と重要かもしれないね。
まぁ、でも日本も変わったよね。
その中で(今では稀有なことだろうが)文通をしていたということで、その時の便箋に書かれた文章が映し出されて、ナレーターがその一部を読み上げた。
で、そのナレーターの読み上げたところがクローズアップされて表示される?のだが、それが、当の便箋の該当部分を写すのではなく、それを活字化された文章だった。
たぶん、これ作った人も、見ているほとんどの人も、違和感を覚えなかっただろうし、そんなに目くじらたてるほど重要ではないのかなとは思うのだが・・・・
文通に使われた便箋も写されており、結構綺麗な文字で書かれているなぁというイメージだった。
字が汚いから、アップに耐えないという印象ではなかった。
それではと、穿った見方だが、この(手書きの)文字が読めない人が多いのではという配慮なのだろうか?
これはとてもまずいような気がする。
確かに手書きすることは極端に減ってはいるのだが・・・
あと、字にはその人の人柄が出るとも言うしね。
そういえば、手書きだと途中でやり直しできないよね。
それしか手段がないから仕方なかった、という考え方はあるけれども、そういう人は事前に、下書きを作ったり、頭の中で内容を組み立てたりと、準備をするよね。
そういう、事って意外と重要かもしれないね。
まぁ、でも日本も変わったよね。