110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

人間の癖を考えて見る

ちょっと前の記事に、ドラッグストアで「品不足のためにおひとり様の1点の購入をお願いします」と張り紙しても「見ていない」と言って多数レジに持ち込む客がいる・・・というのがあった。

注目したのは、その張り紙を「見ていない」と客が言ったということで、そんなところを、ふと考えて見た。

まぁ、「人間」と言っても、究極的には自分しかわからないので、自分だったらどうなるのかな・・・という考察になる。

この「見ていない」というフレーズが気にかかったのは、巷に「路上喫煙禁止区間」とあちこちに表記がされているのにも関わらず、喫煙している人を良く見かけることがあったからだ。

私の住んでいる地域は、全体が路上喫煙禁止区間なのだが、なぜか家の前に吸い殻が捨ててあったりするのだ。

だから、この地域内で、吸っている人を見かけると、吸っている人にはわかるように「路上喫煙禁止」の表示を指さしたりするのだけれども、まぁ、無視するよね?

例えば、自分が喫煙者だとして、何かの衝動で(タバコは常習性があるらしいね)吸いたくてたまらなくなって、吸い始めたところ、どうも、いやな表示「路上喫煙禁止区間」が目に入ったとしよう、たぶん、自分ならば、多少こそこそしながらも「(たばこが)もったいないので吸い続ける」と思う。

「ここは路上喫煙禁止区間です、止めてください」とでも、言われない限りは、後ろめたさはあるけれども、吸い続ける・・・と思う(言われて逆切れして殴りかかった人もいたね)。

そして、喫煙してるのを咎められた上に「あちこちに禁止の表示があったでしょう?」なんてダメ押しされたら、実は、そういうのを多々目撃していても、「いや、そういうのは見ていませんよ」なんてしらを切ると思う。

人間は悲しい事に、自分中心で物事を判断するような構造になっている。

だから、ある程度自己中心的な考え方をすることは「普通」だと思う。

精神病で「離人症」なんていうのがあることがその証左だと言えるのではなかろうか。

さて、最初の話に戻ると、自分が意図せずにルールを破ってしまった時に、素直に謝る人が多数派だろうが、しらばっくれる人もある割合でいることだろうね。

このような記事を第三者的に観察した場合には、理性的批判を加えられる人が大多数だろう、しかし、この状況に自分がなった場合、やはり、理性的に対応できるかどうか?・・・は、極めて怪しいのではないかと思うのだ。

 

本当に、人間て不思議なものだね。