110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

科学と仮説(ポアンカレ著)

本書は岩波文庫版、奥付を見ると、1938年第1刷とあり、1959年に第7刷改版、そして私が手にしているのが、1976年第24刷で、相当黄ばんでいる。

解説を読むと本書の原版は1902年に刊行されている、特に文学作品でもない、この科学的な論稿が広く読まれてきたことがわかる。

その100年以上前の本をこの時期に読んで痛感したのは科学者というのはたいしたものだということだね。

現在の理系や工学系ならば、本書を読んでも、既に解決されたものであり、読む価値は無いと断言できる人も結構いるだろう。

さすがに文系の私でも、光の伝達にエーテルを媒体にするという考え方が、既に無い(古い)ことは知っているから、当時は有効でも、現在まで有効な議論なのかは、甚だ疑問の点が多い。

でも、私は正直、この100年以上前のこの本の内容をきちんと理解できないところがあるんだよね。

時代は進歩している、当然100年前より便利になっている、しかし、その便利な技術について、詳細は知らないでも良いような世の中になっている。

科学的な問題も、Wikiなどで調べれば、一定の評価を簡単に得ることができる、細かい数式などは分からなくても知った気にはなれる。

でも、それでは烏合の衆だよね?

100年前の人々の論考も、きちんと把握できなければ、単純に過去のものとは言えないよね?

なにか、しみじみと感じたな・・・

 

 

ちなみに、コロナ禍の対応を見ていて、安倍さんにしろ、小池さんにしろ、典型的な文系的な言葉でしか発言できなかったことが、とても気になった。

そして、未だに、ウイルスはどの程度蔓延しているのか、一般市民には全然わからない、もしかすると、諮問委員会の方々は把握できているのかもしれない(それならば、「私たちはすべてわかっています」とでも発言して欲しい)。

そうすると、安倍首相の25日の解除宣言の会見で「ウィルスは確実に存在している」をどうとらえるのか、これと対応するかのような「ほぼ収束(収束とは、収まるという意味)」という言葉との関係はどうなのか?

理系の人なら、こういう定義をはっきりさせない用語の利用ができるのだろうか?

とにかく、後日振り返って見ると、どうとでも解釈できるような発言としか思えないのだが?

私的な意見としては、在任中は安倍さんの側近に「本当にできる人」を付けて欲しいと思うよ。

 

追記:その25日の会見の抜粋記事を見ていて、変な事に気づいた。

首相は「まさに日本モデルの力を示したと思う。すべての国民のご協力、ここまで根気よく辛抱して下さったみなさまに心より感謝申し上げる」と、解除についての国民への礼を言っている、ここは過去形での表現であり、解除されたら「自由だ」と行きたいところだが、次に「新しい生活様式を取り入れてくれれば最悪の事態は回避できると私は信じている」と、新しい自粛へと言葉をすり替えてしまった。

20世紀に、ちょっとはやった言葉に「ダブルバインド」というのがある。

細かいところはWikiで、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89

なんか似ている。

さすがに、国民もこういう首相だと呆れたのか、世論調査では、解除に対して否定的な人が多数派となっているね。

 

もう、自分の立場に応じてやるしかなかろう。

それで、パニックになったら仕方がない。