110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

不思議な光景

森会長は辞任することになった、とりあえず、関連記事を引用しよう。

組織委の森会長辞任意向 政権に痛手、五輪開催に向け調整困難に
2/11(木) 13:31配信 産経新聞
 東京五輪パラリンピック組織委員会森喜朗会長が女性蔑視ともとれる発言の責任を取る形で辞任の意向を固めたことで、菅義偉(すが・よしひで)首相は大きな痛手を負うことになる。森氏を失ったことで今夏の五輪実現に向けた調整が難しくなるばかりでなく、野党は森氏発言を受けた一連の対応を政権の「失点」として追及するとみられる。
 政府はこれまで、組織委は政府と別組織だとして、森氏の進退については言及を避けてきた。首相も国会審議で「組織委は公益財団法人だから、首相として(森氏の進退を)主張することはできない」と語ってきた。
 ただ、水面下では森氏を慰留したい意向がにじんでいた。関係者によると、加藤勝信官房長官が発言直後に森氏に電話したほか、森氏に近い政府高官も「森さんは奥さん、娘さん、お孫さんに叱られたって。まあ、反省しているわけだから…」と語っていた。
 政権は五輪成功で政権浮揚を図り、年内の衆院選に向け弾みをつけたかった。森氏の辞任で五輪のイメージ悪化を食い止めることができても、国際オリンピック委員会(IOC)や国内の政財界ににらみを利かせることができる森氏という存在を欠き、開催直前になって不確定要素が生じかねない。
 とはいえ、国会審議では、野党議員が連日のように森氏の発言を批判。米国の婦人参政権運動にちなんだ白のスーツや白いバラを身に着け、口々に森氏の辞任を求めた。
 組織委幹部は「五輪をつぶし、政権をひっくり返したい人たちの政局含みの動きが際立っている」といらだちを強めた。だが、政府が表立って森氏を擁護すれば、野党が「政権は女性蔑視を容認している」としてさらに攻撃を強めることは目に見えていた。
 このため、首相は橋本聖子五輪相に森氏をいさめるよう指示し、自身も国会審議で「五輪・パラリンピックの重要な理念である男女共同参画とは全く異なるものであり、あってはならないものだ」と強調。各閣僚も記者会見や国会審議では森氏の発言を批判する立場を取り、森氏を追いつめる結果ともなった。
 森氏辞任で五輪に向けた期待がしぼみ、新型コロナウイルスの感染状況が思うように改善しなければ、開催断念も選択肢となりかねない。そうなれば政権にとって致命傷となり、首相は苦境に立たされることになる。(杉本康士) 

 さて、私は、2019年ごろから、何で2020年(オリンピック)で国民が盛り上がるのか、理解はできるが共感はしていなかった、過去のブログでもそういう批判記事がある。

すなわち、オリンピックに興味がない人なので、実は、この事件については、ヤフコメなどにコメントを上げることはしない(というか、公式のコメントなんて、恥ずかしくてほとんどできない)で、もっぱら、自分のブログに書いている。

さて、そういう見地からすると、本件、一見凄く真っ当な議論に見えるのだが、昨今、コロナ禍で自粛すると経済が回らなくなり自殺者が増えてという経済推進派の意見を見ている身としては、彼らは、何故、森会長を支持しないのかと訝っているのだ、いや、それは倫理的に、というならば、コロナ禍の対応として自粛して感染を抑える施策、医療機関の崩壊を防ぐ措置は、倫理的でないというのだろうか?

さらに、オリンピックには明らかな経済効果がある、確かに、森会長でなくとも、経済効果は見込めるだろう、しかし、経済推進派としては、誰が一番経済効果があるかという効率論で言えば、その人格は卑しいかもしれないが、森氏が適任だろう、さらに政治的にもしかりだ、だから、あからさまに、森氏は経済的な面から有効だという擁護論も出てきておかしくないのに、それがない。

何か、一見、正しそうな議論のなかに、国民の短絡的な感情論が見え隠れしているのがとても気になる、今回の議論には、古い悪しき体制を見直すというまことしやかな言葉を言う人もいるのだが、こういう盛り上がり方は、戦前の、意味もなく政治批判して、あの戦争に突入してしまったのと、あまり変わりない気がする。

そして、その議論の仕方も、海外ではこうだからという、まさに、黒船的ロジックを大きな拠り所としている人も居て、少し、不気味な感じがする.

旧体制なるものがあり、それを崩すのが良いと思うのならば、そうすれば良い、当然、経済的にも政治的にも、コロナ禍以上に低迷するはずだ、それを覚悟の上で、国民世論は同乗しているのだろうか?

あの、フランス革命の顛末は、賢明な日本人ならご存知なはずだが・・・?