110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

きょうだいの世話、気づかれにくい負担

人間はどうしても社会的に他人に干渉されたりしたりするものだと思うのだけれども、こういうふうな取り組みを推し進めていくと、その先には、子育てや介護などの他人の世話をすることは、すべて国がやるという結論になってしまうと思うのだけれども・・・?

私は介護のことしかわからないけれども、国(厚労省)は、家族や家庭で介護をすることを奨励しているよ、以下の記事とは趣旨的には矛盾していると思うけれどもね。

それとも、最近よく見かける、年寄りはどうなってもいいんだ・・・的な、(超)紋切り型な考え方かな。

追記:この題材の理屈は、ある意味、コロナ禍の対応にも共通する、例えば、若い世代は、重症化や死亡リスクは低く他人の世話になることも少ない、それに対して、高齢者は、重症化や死亡リスクが異常に高く、感染リスクを含めて他人の協力が必要となる、さて、本記事における「世話」ということをよく考えれば、手数の掛かる弟や妹の面倒を見ることへの精神的リスクについての話だが「そんなに負担があるのならば、背負わなくともいいよ」とすると、感染拡大はとりとめもなくなる、さて、どうしたらよいものだろう?

<ヤングケアラー~幼き介護>私もヤングケアラー? きょうだいの世話、気づかれにくい負担
3/1(月) 12:00配信 毎日新聞
 ヤングケアラーが介護や世話をする家族は、何も親や祖父母だけではありません。障害があるきょうだいの見守りや、幼いきょうだいの身の回りの世話などを担う子どももいます。しかし、ケアする方もされる方も子どもである「きょうだいケア」は、家庭のお手伝いの延長として見られがちで、その負担の重さが気づかれにくいという問題があります。【ヤングケアラー取材班】
 「私もヤングケアラーかなって一瞬思ったけれど、違うかもしれない。弟や妹に障害があるわけでもないし、介護しているわけでもないし。私が大変なのは、単に要領が悪いだけなのかな……」
 小学生や保育園児のきょうだいをケアしてきた高校3年の女子生徒が漏らした言葉です。彼女を取材すると、食事の準備、大量の洗濯、保育園の送り迎えなどの家事が、勉強や部活、友達と交流する時間を明らかに圧迫していました。
 女子生徒の保護者にも障害や疾患はありませんが、家事をあまりしないそうです。この生徒は「小さな保護者」としてきょうだいのケアを引き受け、保護者の悩みも聞くなど、家族全体の精神的な柱になっていた様子がうかがえます。これを「美談」で片付けていいのでしょうか?
 家族介護を支援する一般社団法人・日本ケアラー連盟はヤングケアラーの類型の一つとして「家族に代わり、幼いきょうだいの世話をしている」ことを挙げていますが、きょうだいの障害・疾患は条件にしていません。料理、洗濯、掃除などの家事支援、アルバイトなどの家計支援・管理といった責任が過度になれば、勉強、遊び、学校の部活など子どもならではの時間が奪われ、将来の可能性を狭められかねません。
 また、障害・疾患のあるきょうだいをみている子どもの場合、ケアの内容は着替えや食事・入浴介助などの身体介護にとどまりません。きょうだいの学校生活で「けがをしないか」「いじめられないか」と見守ったり、障害の特性による衝動的な言動をなだめたり、こちらもまるで保護者のような役割を背負うことがあります。障害児の子育てに疲れた親の弱音を受け止める立場になることも珍しくないのです。
 こうした子は幼い頃から重要なケアを引き受け、周囲から「将来もきょうだいの面倒をみてほしい」と期待されるなど、その後の人生の選択肢が狭まりかねない点で同じです。

 ◇「仲良しきょうだい」への視点
 ただ、きょうだいケアの負担は社会から、時には家族からも理解されづらいようです。いわゆる「介護」より日常的な「世話」が多くなりがちなことが一因です。さらに保護者や他の家族にも障害や疾患がない場合、社会から「お手伝い」の延長ととらえられる傾向は強まります。身近な人々が「しっかりした子」「仲良しきょうだい」と褒めるだけ、ということも少なくありません。
 きょうだいをケアして当然、とみなされたヤングケアラーは期待に応えようと頑張り続け、甘えたり大変さを伝えたりできなくなります。ヤングケアラー自身が負担の重さを自覚できないこともままあります。
 一方、毎日新聞のキャンペーン報道に対し、ある元ヤングケアラーは「きょうだいケアをして良いこともあった。ネガティブにばかりとらえられるのは残念」とメールを寄せました。周囲とケアをきちんと分担していたり、負担が非常に軽かったりするケースは、お手伝いや仲のいい家族の範囲にとどまるかもしれません。そうしたケアがコミュニケーションになって家族の絆を深める、という考え方もあります。
 ただし、そうした家庭環境が変化するなどして、子どものケア負担が途中から重くなるケースも考えられます。本人や家族、そして第三者から見ても、ヤングケアラーの見極めはそれだけ難しいわけです。
 改めてそれを示したのが2020年11月に埼玉県が発表した県内の高校2年生調査でした。「自分はヤングケアラーだと思う」と答えた2577人のうち、ケアの対象が障害や疾患のない「幼い(未就学、小学生)きょうだい」だけだった608人が、ヤングケアラーから除外されました。県は「判断が難しかった」と説明しています。限られた設問への回答だけでは個々の事情が判断できないため、調査の正確さを期そうとして除外したのが実情のようです。
 ただし、家庭環境などを考慮しないとケア負担の重さが見えづらいのは、全てのヤングケアラーに言えることです。一律にきょうだいケアを切り捨ててしまえば、支援の網からこぼれ落ちる子どもが出てきます。
 厚生労働省は今冬、初めて学校現場への全国調査に乗り出しました。同省関係者は「個人的には、幼いきょうだいの世話もヤングケアラーかなと思う」とした上で、「有識者と協議の上で判断したい」と話しています。集計・分析には十分な配慮が望まれます。