110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

困ったらコンビニで傘を買う

私も結構やらかすのだが、天気予報を見て、例えば、午後や夕方から荒模様というのを知りながらも、昼間は綺麗に晴れているのを見て、傘も持たずに外出をすることがある。

心のどこかでは、困ったらコンビニで傘を変えば良いのだ、という慢心があり、実際にそうなったことも度々ある、今は落ち着いているのだが、以前は、コンビニ傘が玄関の傘入れにうなるほどささっていたことがあり、あれは、長く置くと劣化してくるので、まとめて資源ごみで出したりしたこともある。

そんなまさに便利なコンビニだが、昨今、人手不足からか、店も減ってきたようだ、だから、以前ほど便利だとは思わなくなった。

かつては、店が唸るほどあったので、先程の傘の話でも、周りを少し歩けば、そこにあったからだ。

だから、私のように、コンビニは、いまだどこにもあると思っていると、突然の雨に途方にくれるようになるかも知れない、やはり、備えるということは、重要なことなのだ、しかし、わかってはいるのだが、それでも便利な方へ流れるのは、人間の習性なのだろうか?

私は、雨に振られた時に、コンビニ傘を買うのを悔やむタイプで、それは、コンビニがない時代を経験しているからだと思う、だから、天気予報が午後崩れると言えば、大きな傘を持って行き、ちょくちょく、その予報が外れて無駄になっても、降られるよりは仕方ないというタイプで、折たたみの傘はカバンの中に入れっぱなしということもあった。

さて、本題だが、この便利なコンビニの状況は、人の考え方にどう影響するだろうかという、とても素人らしい疑問なのだ。

コロナ禍に関して、現状、ずるずると悪い方へ向かっているのだ、まぁ、究極は、ワクチン接種という一応最後の解決策が見えているから時間の問題とも言えるようだが、それでも、その対応が完了するまでに亡くなるような方々は誠に運が悪い。

なぜなら、当初はだれもここまで引きづるとは思っていなかったと思う、だから、経済派、自粛派も、天気予報では凄い大雨が降る恐れがあるとしても、まぁ、降ったら、コンビニで傘を買えばいいや程度の感覚で、備えをしなかった。

逆に、備えをしたところもある、ニュージーランドや中国や台湾や韓国などだ。

確かに、大雨が降れば、傘も売れよう、災害が起きれば、復旧の費用も発生しよう、それも、経済的な活動ではある、しかし、ご存知のように、それは、壊れたものを直した費用で生産性を上げるものではない。

普通の生活に戻れて、活躍できている国々とは、やはり違うのだと思う、どこが、とは端的に言えないのだが。

雨が降ればコンビニで傘を買う、コロナ禍が蔓延すれば政府が手を差し伸べる、そういう世論が見受けられるのだし、結構、先進国でもそんな風潮に見受けられるのだが、それって、どうなんだろうな?

ただし、今の世論は、政府を信頼していないようだから、本当の意味で、感染したくなければ、自衛する以外に方法はないはずなのだが・・・?

追記:こんな事を書いてUPした直後、13:00ごろから、強い雨が降り出した、天気予報は15:00ごろから荒れる予報であった、しかし、昼頃に買い物に行った際も太陽はでていながらも、ぱらぱらと雨粒が落ちてくるという不安定な天気でもあった、そんなことからか、周りに用心があったのだろう、雨が振り始めてすぐ、洗濯物を取り入れた、そうしたら、冒頭のような強い雨となった。

季節的には、今ままでのGWのあたりは比較的穏やかな気候だったと記憶しているので、いわゆる気候が変わったということの証左とも言えよう、雨の降り方が雷はないが夕立っぽいんだよね。

さて、皆さんの備えは万端だったのであろうか?