110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

介護の将来

私には、子供がいないので、高齢になり極まったら、金銭的な問題はあるだろうが、施設の手を煩わせるしか無い。

また、今は、母親の介護をしているのだが、厚労省が、こっそり家族での介護を提唱しているのだが、いわゆる、少子化の影響と、家族内の子供の数が少ないということで、難しかろうという話で、まぁ、納得していたのだが、そういえば、離婚という要素があるな、と、ふと思った。

結婚した人のうち1/3は離婚するということは、どういうことだろう?

まず、離婚した親が再婚すると、子供に対して、親の数が増えるような気がする、離婚・再婚を繰り返す親を持った子供は、例えば10人ぐらい親と言える人がいることになったりする。

これは、厳しい状況だ、その親たちが高齢化したからと言って、「介護しろ」と自信を持っては言い切れない、なにか古臭い考え方だろうが、倫理的におかしいように思う。

また、離婚した親は、ひとつのメッセージを発している。

それは、自分のことを第一に考えるということ、子供がいるから離婚しないのではなく、子供がいても離婚するということは、やはり、自分のことが一番だということになろう。

ひどい比喩を上げれば、一時期、TVCMにあった、「いい人に拾われてね」と泣く泣く犬を捨てるという考え方(CMの趣旨は、ペットを捨てるのは違法だという宣伝だ)とあまり違いがない。

それならば、親が高齢化して、その親が介護が必要だとしても、先の、離婚の例を出して、自分のことを第一に考えれば良いということを身を持って示したということになろう。

だから、面倒な介護はするかしないかは、自分を第一に考えればよい・・・ことになる。

うん、それで、理論が噛み合う。

こうなってくると、国が高齢者の面倒を見るようにしなければならなくなりそうな気配だ。

どうも、私の古い感覚でいうところの「親子」という概念は、すでに崩れているように思える。

そんな世間で、今、渋沢栄一NHKのドラマでやっているのは、どういう趣旨なのだろう。

論語の(孝の)部分は省くのか、それとも、モザイクで隠すのか?

やはり、60年も生きると、世の中とは相当なズレが生じるようだ。

まぁ、すでに、私は、認知症の域に達しているのかもしれない。