「山屋」は敵に回すな
富士山は登ったことないけれども、低山はよく登っていたことがある。
名古屋に住んでいたときに、鈴鹿の山々が好きで、休みになると行ったりしていた。
そうそう、東海自然歩道も中部コースは全部歩いたしね。
歩くのは本当に好きで、自宅から、高崎、前橋、宇都宮まで歩くとか平気でやっていた、水戸からは自宅まで歩いて帰ったことがある、なつかしいな。
その他、遍路を良くしていた、秩父とか、坂東とか、札所の間は、歩くというルールを決めてやっていたけれども、結構、お金かかるので、最後には、家から、50kmのコース作って、歩くとか節約しながらやっていた。
そして、もう12年以上になるかな、親の介護をしているのだが、ふと思い当たったのが、今まで、さんざん歩いて来たことと、介護は、根本のところで似ているのかもしれないということ。
親の介護をしているから、ある意味気楽に暮らせているけれども、どちらかというと、娯楽もなくて、貧乏(慎ましい)生活だ、たまに、苦しいこともあるけれども、その(介護という)プロセスは悪くないんだよな。
(親の)介護と言うと、するしないで意見が分かれるようなんだけれども、私は、やって見たほうが良いと思っている、子育てなんかも似たようなところがあると思うんだ、生身の人間と向き合うことになるからね。
そうか、なるほど、私は、山屋に近いんだということが、わかった。