ドビッシー音楽論集(ドビッシー著)
本書は1996年岩波文庫版、そして、リサイクル文庫。
最近、芸術家として仕事をしている人の見方が変わった、例えば、本作のドビッシーについても、ある作品を生み出すその力の源泉は何だろうかと考えてしまう。
確かに、音楽を作るための基礎的な素養、音感や理論、演奏技術などは当然持っているのだろうが、それだけでは、新しい作品(楽曲)を創ることは難しいと思う。
その作品を完成させるための意志、思想というものが必要なのではないかと思う。
自分でも、稚拙な曲を作ったことがあるが、そのときは苦労した、何度も何度も繰り返しては少しずつ先に進むということで、やっと(たかだか)数分の曲を完成することができた。
それなら、一時間にもおよぶ大作を作る作曲家はどのような強靭な意志を持っているのだろう?
本書を読むと、ドビッシーという人が音楽だけではなく、様々な知識を持っていることが伺える。
そのような、多彩な蓄積が、彼というフィルターを通すと素敵な音楽になるのだろう。
さて、本書は、何故か、解説が本文と同じくらいあった、確かに、思想・哲学系の本には同じように、解説が本文と同量というのはあるが、何か、解説を読んでいるのやらなにやら分からなくなってしまった。
本書のタイトルも「ドビッシー音楽論集 ××訳」では、著作者に対して失礼なように思うが
・・・いかがなものだろう?
最近、芸術家として仕事をしている人の見方が変わった、例えば、本作のドビッシーについても、ある作品を生み出すその力の源泉は何だろうかと考えてしまう。
確かに、音楽を作るための基礎的な素養、音感や理論、演奏技術などは当然持っているのだろうが、それだけでは、新しい作品(楽曲)を創ることは難しいと思う。
その作品を完成させるための意志、思想というものが必要なのではないかと思う。
自分でも、稚拙な曲を作ったことがあるが、そのときは苦労した、何度も何度も繰り返しては少しずつ先に進むということで、やっと(たかだか)数分の曲を完成することができた。
それなら、一時間にもおよぶ大作を作る作曲家はどのような強靭な意志を持っているのだろう?
本書を読むと、ドビッシーという人が音楽だけではなく、様々な知識を持っていることが伺える。
そのような、多彩な蓄積が、彼というフィルターを通すと素敵な音楽になるのだろう。
さて、本書は、何故か、解説が本文と同じくらいあった、確かに、思想・哲学系の本には同じように、解説が本文と同量というのはあるが、何か、解説を読んでいるのやらなにやら分からなくなってしまった。
本書のタイトルも「ドビッシー音楽論集 ××訳」では、著作者に対して失礼なように思うが
・・・いかがなものだろう?