行為と意味(河上正秀著)
本書は1993年、「未知谷」刊行のもの。
副題に「技術時代の人間像」とあるように、現在(当時か?)の技術偏重な時代性に対する、実存主義的な批判を試みるという内容。
目次を眺めると、キルケゴール、ハイデッガー、メルロ=ポンティなどの言葉が目に付いたので、早速手に入れて読んだ(ちなみに、これも古本で105円であった)。
最近、再び、実存主義というジャンルの本を読むようなめぐり合わせになってきた。
それは、自分がいつか、一人の自分(実存)に対峙することが必ずある(生-死)ということを、おぼろげながら(不安に)思っているからだろう。
そして、現在の高齢化社会というキーワードは、国民がそういう、実存的な状況に対峙する割合が増加するということでもあるのかも知れない(実存主義は、ある意味個人主義と見なされても)。
現在は、思想・哲学自体が、すでに忘れられている(もしくは抑圧されている)状況かもしれないが、私としては、この状況にこだわって行きたい。
ちなみに、本書を読んでいて、キルケゴールという人の著作について機会があれば読んでみたいと思った。
副題に「技術時代の人間像」とあるように、現在(当時か?)の技術偏重な時代性に対する、実存主義的な批判を試みるという内容。
目次を眺めると、キルケゴール、ハイデッガー、メルロ=ポンティなどの言葉が目に付いたので、早速手に入れて読んだ(ちなみに、これも古本で105円であった)。
最近、再び、実存主義というジャンルの本を読むようなめぐり合わせになってきた。
それは、自分がいつか、一人の自分(実存)に対峙することが必ずある(生-死)ということを、おぼろげながら(不安に)思っているからだろう。
そして、現在の高齢化社会というキーワードは、国民がそういう、実存的な状況に対峙する割合が増加するということでもあるのかも知れない(実存主義は、ある意味個人主義と見なされても)。
現在は、思想・哲学自体が、すでに忘れられている(もしくは抑圧されている)状況かもしれないが、私としては、この状況にこだわって行きたい。
ちなみに、本書を読んでいて、キルケゴールという人の著作について機会があれば読んでみたいと思った。