110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

無意識と精神分析(ジャン-ポール・シャリエ著)

 本書はせりか書房、1988年刊行のもの、ちなみに翻訳は岸田秀氏だ。

 前回に続き、精神分析ものが続いたが、最近心理学的な方面に興味の重点が移っているのかもしれない。
 そして、前回も書いたが、この精神分析の考え方も、やはり最近の脳生理学などの見解からは、矛盾があることも間違いはないであろう。
 しかし、再三書くのだが、その根本的な思想の立つ場所(在り方)については、崩されていないのではないだろうか(抽象的な表現に過ぎるかも知れないが)?
 
 ちなみに、本書の最後に附論として「フロイト主義に対する現象学の批判について」というのが含まれている、ここでは、簡単ながら、サルトルメルロ=ポンティの見解を示している。
 ここで、サルトルについては、現在のところ余り気にしていないのだが、メルロ=ポンティについては、身体論についてずっと興味を持ちつづけている関係上、また「知覚の現象学」などの著作を読みたいと思って準備をしているところなので、この両者の対立には少し当惑している。
 (そして、最後には、再び市川浩氏の「精神としての身体に」戻るつもりだ)
 どうも、無意識というものを、現象学としては(理論的に)否定したいようなのだ。

 そういえば、先々回ブログに上げた「現代日本人の恋愛と欲望をめぐって」という本は、岸田秀氏と竹田青嗣の対談なのですが、なんとまぁ、精神分析 VS 現象学ではないですか(ただし「唯幻論」は純粋なフロイト理論ではないですが)。

 まぁ、ここは、フロイトの用語・・・「両義性」をお借りして態度は保留しておこう、私にとっては、難解な、メルロ=ポンティの著作を読んでみて、その時に感じたことで評価してみよう。

 読書を続けていくと、当初思っても見なかった所に導かれてしまうことがあるのだなぁと思った。