ことばが劈かれるとき(竹内敏晴著)
さて、本書の大半は「身体論」である(著者は「身体」という言葉を嫌っているのだが)。
私も「知覚の現象学」を読もうと努力をするも、その難解性と物理的な厚さに実現していないのだが、本書は、その前哨戦として十分な内容を持っている。
そして、こころに従属するからだという意志のゆういせいを唱えるのではなく、現実的には身体という合一化した「モノ」が人間であることを教えてくれるのだ。
健常者ならば、普段何気なく利用できること(話すということ・・・その感覚)が、とても深い秘密に覆われていることを本書は、著者の実体験を通して(具体的に)理解することできるであろう。
すなわち、理論・思想だけはない、実践的な身体論の書だと思う。
ちなみに、本書の題名は「ことばがひらかれるとき」というもので、体の透過性、オープン性(開く)を表しているようだ。