神経症(V.E.フランクル著)
本書は、みすず書房1961年刊行の、フランクル著作集4,5巻にあたるもの。
刊行時期と私の生年が同じだとは感慨が深い。
本書は、実存分析という手法を利用する、著者の神経症に関する考察だ。
実存、そして実存主義という言葉は、今日あまり聞かなくなったが、本書を読むと、その「実存」というものについて、再び考えてみたくなる。
そして、本書にある「実存」は、サルトルの著す「実存(主義)」ではなく、ハイデッカーの現存存在分析などから、その思考を進化させたものである様に思う、その意味では、一般的な「実存(実存主義)」という定義とは少し異なる意味合いを持つようにも思う。
そして、本書を読んで、外に立つもの(=実存)という意味が、まだ漠然とだが捉えられたようにも思もう。
(物理)時間的には古くなった本書の様な著作を読むことが、私にとっては、とても意味があった・・・これはとても嬉しいことだ。
そして、本著者が極限状態での、まさに実存を見たこと(経験)は、単なる論理では導けない「何か(それは非知)」を把握しているのであろう。
刊行時期と私の生年が同じだとは感慨が深い。
本書は、実存分析という手法を利用する、著者の神経症に関する考察だ。
実存、そして実存主義という言葉は、今日あまり聞かなくなったが、本書を読むと、その「実存」というものについて、再び考えてみたくなる。
そして、本書にある「実存」は、サルトルの著す「実存(主義)」ではなく、ハイデッカーの現存存在分析などから、その思考を進化させたものである様に思う、その意味では、一般的な「実存(実存主義)」という定義とは少し異なる意味合いを持つようにも思う。
そして、本書を読んで、外に立つもの(=実存)という意味が、まだ漠然とだが捉えられたようにも思もう。
(物理)時間的には古くなった本書の様な著作を読むことが、私にとっては、とても意味があった・・・これはとても嬉しいことだ。
そして、本著者が極限状態での、まさに実存を見たこと(経験)は、単なる論理では導けない「何か(それは非知)」を把握しているのであろう。