<気配>論(上村武男著)
本書は白地社1986年刊行のもの、著者は大学の教授ではなく、神社の宮司で、幼稚園の理事長とある。
そして、本書の題名だけでは何の本だか判らないだろうが、副題の「自覚線上における西田幾多郎」を知ると、本書がどの様な目的をもって書かれたかがわかるだろう。
そして著者本人も、ある種の偏向があると断った上でだが、西田幾多郎論であり、とても良い入門書である。
西田氏の本、例えば「善の研究」などを読んで、何を言っているのかがわからない・・・私の様な者には最適な本だ。
上村氏の熱狂的な西田幾多郎氏の諸研究は、数冊の書籍に結実しているのだが、それが、安く、思うようには入手できないのだ難点だ。
ちなみに、私は、早稲田の古書店で、奇跡的に本書を手にすることができた。
世の中には、まだまだ良い本があり、良い出版者もあるようだ、ただ、書籍の発行数は多く、良い本を見つけだす可能性、めぐり合う確率も、低くなっているのだ。
今回は、その行幸に感謝することになったのだ。
ここでいう<気配>とは、西田氏の言う「場所」に近い意味を持たせた上村氏の解釈だ。
そして、本書の題名だけでは何の本だか判らないだろうが、副題の「自覚線上における西田幾多郎」を知ると、本書がどの様な目的をもって書かれたかがわかるだろう。
そして著者本人も、ある種の偏向があると断った上でだが、西田幾多郎論であり、とても良い入門書である。
西田氏の本、例えば「善の研究」などを読んで、何を言っているのかがわからない・・・私の様な者には最適な本だ。
上村氏の熱狂的な西田幾多郎氏の諸研究は、数冊の書籍に結実しているのだが、それが、安く、思うようには入手できないのだ難点だ。
ちなみに、私は、早稲田の古書店で、奇跡的に本書を手にすることができた。
世の中には、まだまだ良い本があり、良い出版者もあるようだ、ただ、書籍の発行数は多く、良い本を見つけだす可能性、めぐり合う確率も、低くなっているのだ。
今回は、その行幸に感謝することになったのだ。
ここでいう<気配>とは、西田氏の言う「場所」に近い意味を持たせた上村氏の解釈だ。