110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

地獄少女三鼎について

 地獄少女はこの「三鼎獄(シリーズ3作目)で現在のところ終了している、多分、前作の様に視聴率が伸びなかったのだろう、4作目を期待する声もあるが、現在ではなかなか難しいだろう、本来非常に重いテーマなので、幸運にもブームを巻き起こしたのであそこまで続いたのだろう。

 (以下は、ばらばらな断章だ)

 さて、3作目は、どうも評価が分かれた作品であるようだ、シリーズ26作全体がひとまとまりになっているが、すべて見ないとなかなか本質がわからない。
 本作では「御影ゆずき」という少女が主人公となる、しかし、続けて作品を見ていくと2、3作目で不思議な事に気づく、両親(家族)の姿が無いのだ、一応、両親が共稼ぎでしかも共に都会で働いていると言ってはばからないのだが、私のような年の者から見ると、少なくとも片親は子供に付き添うはずだ、そこで、両親とも同居せず隔離されている状況が何を象徴しているのかを考えてしまった、それは、後で、明確になるのだが、私は、この主人公が、閻魔愛に勝るとも劣らぬ悪業を働いたのではないか、少なくとも両親を殺害したのではないかと怪しんだ・・・が、目の付け所はよかったが、まぁ外れであった。
 さて、本作の内容は、非常にわかりにくい、不条理な作品が多いという事だが、そんなことは無い、三鼎に引っ掛けたのか、前作までのわかりやすい勧善懲悪の話、すなわち2者の対立を、3者(たくさん)に拡大したのだ、だから、誰かに唆されて手を染めてしまうような話が多く、理不尽性が高まっている。
 しかも、「地獄送り」する人の立場ではなく、あくまで、第三者の視線から見て作品が進行するからそうなってしまう。
 そして、最後に、本人の最終意志が出てきて、何故、紐を解いたのかという疑問になるのだが、作品を繰り返し見られるのならば、誰が地獄送りされるかを知った上で見れば、各所にヒントがばらまかれてあるはずだ。
 例えば、21話「うしろの正面」では、何故に生まれる前に生まれてくる子供に名前がついているのか?というところが引っかかれば良いのだ、そして、父親に問われても、母親の虐待を報告しない子供の態度から推測すれば良い。
 この傾向に気づいたのは、第2話「籠の鳥」である。あくまで、第三者の目で見て「善かれ」と思ってやった事が、本当にそうであったのか?という結末になる。「蓼喰ふ虫も好きずき」というではないか?この2話目を見て、シリーズの方向が見やすくなった。

 また、地獄の権威はこの作品でさらに失墜している、第11話「滲んだ頁」は典型である。
 そして、ところどころ、現在社会の批判的な描写があることに気づくのだ。

 ちなみに、閻魔愛は、前作と本作では、一番可哀想(理不尽)な人を身を挺して助けるのだが、気づいただろうか?
 しかし、それが精一杯なことは、現実社会で生活している者には、常識的な事だと思う。

 地獄通信は、現世には存在しない、存在すれば大変なことになる、しかし、地獄通信がなくとも、(犯罪に)手を染める人は手を染めてしまう、「地獄少女」では、そういう恨みの感情を誇張して見せているだけなのだ。

 そうそう、きくりの存在やお仕置きがコミカルなところがお気に召さない向きもあるらしい、でも、矛盾や不条理にさらされた人にとって救いとは、ただ「笑う」ことでしかないのではないかしら?