深沢七郎集(第三巻)
本書は筑摩書房刊行のもの、第三巻は小説3として、笛吹川と甲州子守歌の2編が収録されている。
この作者は読者の好き嫌いが激しい人ではなかろうかと思う、小説家として認めないなどという人もいるかもしれない。
私は、この作者を好ましく思う。
この人ほど人間の良いところも悪いところも曝け出して描く人はいないのではないかと思っている。
以前にも書いたが、楢山節考で作者は主人公のおりんさんを愛していた。
一読しただけでは、姥捨山、悲惨な物語と読んでしまいがちな作中に全く異質な観点があるのだ。
本書の2作でも同じように、人が、善いことも悪いこともする、馬鹿なことも利口なこともする、しかし、それがどうなんだというように、作者はその出来事自体の良否を判断していないように思う。
人は、勝手に年をとるし、自律して生きているように思っていてもそれ以上に回りの状況に影響されて生きている、そして、皆いつかは死んでいく(あなただけは例外かもしれないけれども)。
どんなに楽しいことも、どんなに悲惨なことも、それをそのまま受け入れて、それ以上でも以下でもなく生きること、それはとても難しいことだと思うのだけれど、この著者の作品にはそれがそのまま書かれているのだ。
この作者は読者の好き嫌いが激しい人ではなかろうかと思う、小説家として認めないなどという人もいるかもしれない。
私は、この作者を好ましく思う。
この人ほど人間の良いところも悪いところも曝け出して描く人はいないのではないかと思っている。
以前にも書いたが、楢山節考で作者は主人公のおりんさんを愛していた。
一読しただけでは、姥捨山、悲惨な物語と読んでしまいがちな作中に全く異質な観点があるのだ。
本書の2作でも同じように、人が、善いことも悪いこともする、馬鹿なことも利口なこともする、しかし、それがどうなんだというように、作者はその出来事自体の良否を判断していないように思う。
人は、勝手に年をとるし、自律して生きているように思っていてもそれ以上に回りの状況に影響されて生きている、そして、皆いつかは死んでいく(あなただけは例外かもしれないけれども)。
どんなに楽しいことも、どんなに悲惨なことも、それをそのまま受け入れて、それ以上でも以下でもなく生きること、それはとても難しいことだと思うのだけれど、この著者の作品にはそれがそのまま書かれているのだ。