110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

本当にできるのかな?

認知症対策に初の数値目標 急速な高齢化、社会保障費増大に危機感
5/16(木) 20:33配信 産経新聞
 国の認知症政策を示す大綱の素案が16日、公表された。柱に「予防」と「共生」を据え、「70代での発症を10年間で1歳遅らせる」などと患者数の抑制に向けた具体的な数値目標を初めて示した。背景には、国内で急速に進む高齢化と、それに伴う医療費、社会保障費の増大への強い危機感がある。
 総務省の人口推計では昨年3月、75歳以上の後期高齢者が約1770万人となり、初めて65~74歳(約1764万人)の人口を上回った。令和7(2025)年には、団塊世代の全員が後期高齢者となり、高齢化はさらに進む。
 同時に懸念されるのが医療費、社会保障費の膨張だ。75歳を過ぎると、心身の衰えが進み、寝たきりや認知症を発症する人は多い。厚生労働省によれば、1人当たりの年間医療費(平成28年度)は、65歳未満が平均約18万4千円だったのに対し、75歳以上は同約91万円にも上る。
 現行の認知症対策の国家戦略では、市民サポーターの養成など、認知症の人の生活支援に重点が置かれた。新たな大綱では、高齢者の健康の維持を図ることで認知症になる年齢を遅らせ、社会保障費の抑制につなげたい本音がにじむ。数値目標を定めたのも、実効性を高める狙いがある。
 ただ、認知症の予防法や治療法はまだ確立されてはいない。認知症を発症してからも、いかにその人らしく生きられる社会を実現できるか。政府は行政や専門機関、地域社会との連携を図り、推進力につなげていきたい意向だ。

 政府統計が不適切なんて記事が出た時にこんな記事が出ると「統計操作で認知症の比率をいじるんじゃないの?」なんて勘ぐってしまう。
 しかし、その勘ぐりは正解で「認知症」の認定って意外と難しいはず、アルツハイマー型や脳梗塞の後遺症など原因が明らかなものは良さそうだが、老化による認知機能の低下はなかなか判断がしづらいはず。
 しかも、明らかに認知症であっても、周りのサポートによっては一見正常な生活を送ることも可能だ。
 最近、取りざたされている、自動車の運転は(認知症ならば)当然危険極まりないのだが、家族が送り迎えするようにすれば、他人に迷惑をかけず(家族の支援=苦労はあるけれどもね)に生活ができる「可能性」がある。
 私の母親は「初期の認知症」と医師からコメントされているが、私よりもしっかりとしているところもある。
 そう認知症と言っても結構「まだら」なのだし、例えば、金銭を取り扱ったり、契約行為をしたりなんていうことは、とても怪しいけれども、普通に生活させることは(介護はある程度必要だけれども)できるんだよね。

 そこで、上の文章を見てみると、最後の「政府は行政や専門機関、地域社会との連携を図り、推進力につなげていきたい意向だ。」が、政府の本当の意向なのか、それとも、記者がなんとなくまとめるつもりで書いたのかちょっと不明だが、政府が本当にこんな事を考えていたら、現段階でも既に恐ろしい。
 介護したことがある人なら、わかっていただけるだろうと思うのだが、ここに付け加えて、高齢者(被介護者)そして家族などの介護者とも緊密な連携が無ければ、実効はおぼつかない(管理職だけで平社員の居ない会社のようなもの)。
 この布陣で取り組むのならば、初めに書いたように、現実を見ないで統計処理でつじつまを合わせることになるだろう。
 具体的には、介護の認定を厳しくすることになるだろうね、例えば、今なら「要介護」相当の人を(何故か)「要支援」どまりにするとかね(今もあると思うよ、経験的にだけれども…)?
 それとも、認知症の認定って意外と難しいので、もしかして、徘徊したりして明らかに認知症の症状をしていても、認定しないとかいやらしい方へ行くのかな?
 ちなみに、現在、認知症はたしか7人に1人の割合で、介護が必要とされるのは、それ以外の要因も多いので、認知症なんて「部分」だけを見ているだけで良いのかな?