現代倫理学入門(加藤尚武著)
また、歩き読みしてしまった。
「他人に迷惑をかけなければ何をしてもよいか」という章がある本を、歩きながら読んでいた。
すれ違った人は「奇異」に感じたかもしれない。
全く、倫理が大事などと言えないわけだ。
さて、この本は意外とショッキングだ、まずは、カントの言う「善い意志」を否定する。
また、絶対的な「善」というものを導くことができない事も示す。
つぎに「最大幸福原理」と「平等原理」が両立するかを検討する。
そこでは、
「・・・所得を均等にする平等主義国では国民総生産(GNP)が減少し、不平等を是認する自由主義国では、国民総生産が増大するというになる。
最大幸福の原理を、「ドンブリ勘定の功利主義」と解する時、国民の間の所得格差が大きくなっても、国民総生産を多くした方がよいという原則になる。・・・」
なるほど、格差社会はこれで是認ということか?
もう一つ、「アローの定理」というのがある。
「たとえば、歌手の人気投票で有権者が一人で、一位、二位、三位まで投票できるとする。一位に三点、二位に二点、三位に一点というような点数をつけて集計する。一位ではA(実名なので変えました)とBで票が割れてしまって、二位にはCが集中するというようなことがある。すると集計するとCが一位になる。ところが開場で噂を聞くと、Cに一位の投票をした人が非常に少ない。週刊誌がスキャンダル扱いしかねない怪しい雲行きである。ところが票の中身を調べると、不正はまったく存在しない。・・・」
このように、一見、何もおかしくないようなルールの投票でも、それぞれの投票者の意図と違う結果がでてしまう。これが、「アローの不可能性定理」というものらしい。
小泉政権の時、選挙で大勝した事があった。その時、野党に投じた私は周りの人に、いろいろ聞いたところ、自民党に票を入れた人が少ない、また、得票の累積集計では、与党と野党で、大きな差は無かった様に記憶している。しかし、結果は・・・そういうことなわけだ。
こういうような事に興味のある人には面白い本かもしれない(私は面白かった)。
参考に、各章の見出しを書いておこう。
/佑鮟?韻襪燭瓩鳳海鬚弔ことは許されるか
■隠或佑量燭魑澆Δ燭瓩飽貎佑凌佑鮖Δ校?狼?気譴襪
10人のエイズ患者に対して特効薬が一人分しかない時、誰に渡すか
ぅ┘乾ぅ坤爐亡陲鼎行為はすべて道徳に反するか
イ匹Δ垢譴亶福の計算ができるか
θ獣杷塾呂糧獣任話がするか
<・・・・・である>から<・・・・・べきである>を導き出す事はできないか
╂亀舛慮桐?禄秧茲雰措阿之茲泙襪里、共同の利益で決まるのか
思いやりだけで道徳の原則ができるか
正直者が損をすることはどうしたら防げるか
他人に迷惑をかけなければ何をしてもよいか
貧しい人を助けるのは豊かな人の義務であるか
現在の人間には未来の人間に対する義務があるか
正義は時代によって変わるか
科学の発達に限界を定める事ができるか
この本を読むと、結論としては、論理的に考えると、「絶対的な善(good)」は存在しない事になる。
ただし、そこで議論を停止してはいけないと思う。
或る条件の下でも良いから「倫理的な規範」を創り出していく事は必要だと思う。
あとがきで、
「大学の倫理学の教科書として、バランスの取れた内容にするために、私の主観的な判断を強く出した所を削除して・・・」とある。
願わくは、この著者の「主観的な判断」が知りたかった。
「他人に迷惑をかけなければ何をしてもよいか」という章がある本を、歩きながら読んでいた。
すれ違った人は「奇異」に感じたかもしれない。
全く、倫理が大事などと言えないわけだ。
さて、この本は意外とショッキングだ、まずは、カントの言う「善い意志」を否定する。
また、絶対的な「善」というものを導くことができない事も示す。
つぎに「最大幸福原理」と「平等原理」が両立するかを検討する。
そこでは、
「・・・所得を均等にする平等主義国では国民総生産(GNP)が減少し、不平等を是認する自由主義国では、国民総生産が増大するというになる。
最大幸福の原理を、「ドンブリ勘定の功利主義」と解する時、国民の間の所得格差が大きくなっても、国民総生産を多くした方がよいという原則になる。・・・」
なるほど、格差社会はこれで是認ということか?
もう一つ、「アローの定理」というのがある。
「たとえば、歌手の人気投票で有権者が一人で、一位、二位、三位まで投票できるとする。一位に三点、二位に二点、三位に一点というような点数をつけて集計する。一位ではA(実名なので変えました)とBで票が割れてしまって、二位にはCが集中するというようなことがある。すると集計するとCが一位になる。ところが開場で噂を聞くと、Cに一位の投票をした人が非常に少ない。週刊誌がスキャンダル扱いしかねない怪しい雲行きである。ところが票の中身を調べると、不正はまったく存在しない。・・・」
このように、一見、何もおかしくないようなルールの投票でも、それぞれの投票者の意図と違う結果がでてしまう。これが、「アローの不可能性定理」というものらしい。
小泉政権の時、選挙で大勝した事があった。その時、野党に投じた私は周りの人に、いろいろ聞いたところ、自民党に票を入れた人が少ない、また、得票の累積集計では、与党と野党で、大きな差は無かった様に記憶している。しかし、結果は・・・そういうことなわけだ。
こういうような事に興味のある人には面白い本かもしれない(私は面白かった)。
参考に、各章の見出しを書いておこう。
/佑鮟?韻襪燭瓩鳳海鬚弔ことは許されるか
■隠或佑量燭魑澆Δ燭瓩飽貎佑凌佑鮖Δ校?狼?気譴襪
10人のエイズ患者に対して特効薬が一人分しかない時、誰に渡すか
ぅ┘乾ぅ坤爐亡陲鼎行為はすべて道徳に反するか
イ匹Δ垢譴亶福の計算ができるか
θ獣杷塾呂糧獣任話がするか
<・・・・・である>から<・・・・・べきである>を導き出す事はできないか
╂亀舛慮桐?禄秧茲雰措阿之茲泙襪里、共同の利益で決まるのか
思いやりだけで道徳の原則ができるか
正直者が損をすることはどうしたら防げるか
他人に迷惑をかけなければ何をしてもよいか
貧しい人を助けるのは豊かな人の義務であるか
現在の人間には未来の人間に対する義務があるか
正義は時代によって変わるか
科学の発達に限界を定める事ができるか
この本を読むと、結論としては、論理的に考えると、「絶対的な善(good)」は存在しない事になる。
ただし、そこで議論を停止してはいけないと思う。
或る条件の下でも良いから「倫理的な規範」を創り出していく事は必要だと思う。
あとがきで、
「大学の倫理学の教科書として、バランスの取れた内容にするために、私の主観的な判断を強く出した所を削除して・・・」とある。
願わくは、この著者の「主観的な判断」が知りたかった。