110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

社交する人間(山崎正和著)

 本書は2003年に中央公論新社刊行のもの、2006年に刊行された中公文庫判を読む。
 本書は、お気にいりブログの「読書のあしあと」(http://blogs.yahoo.co.jp/honestly_sincerely)で紹介されていたもので、読んでみようと思ってから、意外に時間が掛かった。
 それは、本書を手に入れるまでに、山崎氏の著作をつまみ読みしてしまったからなのだが、そのおかげで、いろいろと得るところもあった。

 山崎氏の著作がそれぞれ非常に完成度が高いことは事実だと思う。
 本書でもそれが発揮されている。

 ただし、やはり、気になることがある。
 「社交」というキーワードは、先立つもの、すなわち、現代の制度だと「経済」の上になりたつのでは無いかということ、そのためには「消費」という言葉が思い浮かぶ。
 さて、そうなった場合、ひとつは、以前少しコメントした「環境問題」としての、大量消費規制の問題、特に化石燃料の消費の抑制について、更に、日本の立地や資源を持たないという特異性に付いて、どう取り組めば良いのかということ。
 そして、本書では、グローバル化という観点から、問題の論点として外せるのことなのかもしれないが、最近、特に顕在化した日本の競争力の低下、さらに少子高齢化による、衰退の予測(予感)。
 そして、中国、インドなどの発展は、全世界的な食糧の取り合い、再び、マルサス人口論の再来まで予感させる(考え過ぎと言われるかもしれないが)。
 未だ、日本は工業国を脱していないのではないかと思うが・・・?。

 山崎氏は、室町時代に社交の原点を求めているが、その間も戦乱や民衆の飢餓があった様に記憶する。
 そうすると「社交」とは、一部エリートのみ許される行為なのでは無いか。
 本書を見ると、そこに「庶民」は不在なのだ。

 そう考えると、私のような、「庶民」には、少し難しいところの著書だと思われる。
 しかし、あなたが、エリートであるなら、この本書の内容は間違っていない(と思う)。

ちなみに、本書では、少し批判させてもらったが、山崎氏の著作については、今後も機会があれば読んで行きたいと思う、批判するだけ「気になる」作者なのだ。