110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

茶の間の正義(山本夏彦著)

 本書は昭和42年文藝春秋社刊行のもの、私は中公文庫版(初版昭和54年)で読む。

 あわせて、「日常茶飯事」「かいつまんで言う」「変痴気論」も読む(それぞれ中公文庫版)。
 この時期の著者の作品は、非常に微妙な立場にあると思う。
 しかし、今から振り返る形でこれらの作品を読むと、今の問題点は当時と何の代わりが無いことに気づく。
 氏は、理解することは、理解する意志があることにより理解するという趣旨のことを書いているが、まさに、面前にある問題を、見てみぬ振りをしたために、ここに至ったということなのだろう。
 「はだかの王様」という童話(?)では、王様だけが揶揄されたが、今は、「はだかの民衆」のような状況なのではないか、皆、自分も他人も「はだか(馬鹿には見えない服を着ている)」なのに、「みんな」がそうだから、誰も口に出せない。
 もし、口に出すものが居れば、その人は「狂人」という評価・批判を受けるのではないか?

 来週は衆議院選挙だが、様々な政策が提示される。
 例えば、財政改善、国家の借金を減らすことが将来のためだと皆知っている。
 しかし、何故増えるのかは、例えば、景気が悪くなった、官僚が無駄なものに使っている・・・等々、スケープゴートを上げて「批判」できる、しかし、よく考えてみると、もしかすると、国民は潜在的(顕在的かな?)に、(国家の)借金が増えても良いから、今を楽に生きたいのではないか?
 だから、その様な政党を選んでしまうのではないのか?
 自分は渦中にありながら、それを、第三者的(人ごと)に見てしまうのであれば、社会も政治も迷走するのは明らかなように思うのだが?