写真小史(ヴァルター・ベンヤミン著)
本書は、ちくま学芸文庫版で読む。
著者の表題作の他、その中で紹介された、ブロースフェルト、アジェ、ザンダーの写真集について、著者が著した序文も翻訳されている。
そして、可能な限り、そこで言及された写真が掲載されているのが嬉しい。
だから、本書は、本文を読み、写真を眺めるという繰り返しになるのだ。
つい先だって、コダック社がコダクロームというカラーフィルムの製造中止を発表し、写真はデジタルデータという領域に(既に)突入したわけだ。
ちょうど20世紀初頭のこれらモノクロの写真を見ると、何故か不思議な感慨にとらわれる。
たぶん、現在の技術のほうが、より優れているのだろうが・・・・?
それは、私の回顧主義というフィルターのなせる技なのだろう。
特に、アジェの写真が、心に残るのだ。
殆どの写真がパリの光景なのだが、その中に人物が移っていないのだ。
どことなく、孤独な空間・・・それは、人が居ることで減殺される「何か」、それが無いことによる「場」なのだろうか?
やはり、自分の中の孤独を投影しているに過ぎないのかもしれない。
そんな中、ECMレコード在籍中のパットメセニー(GROUP)を聞きながら、そのジャケットに見入っていた時代(時)を思い出すのだ(やはり、LPのジャケットの方が良いのだ・・・大きいのでね)。
著者の表題作の他、その中で紹介された、ブロースフェルト、アジェ、ザンダーの写真集について、著者が著した序文も翻訳されている。
そして、可能な限り、そこで言及された写真が掲載されているのが嬉しい。
だから、本書は、本文を読み、写真を眺めるという繰り返しになるのだ。
つい先だって、コダック社がコダクロームというカラーフィルムの製造中止を発表し、写真はデジタルデータという領域に(既に)突入したわけだ。
ちょうど20世紀初頭のこれらモノクロの写真を見ると、何故か不思議な感慨にとらわれる。
たぶん、現在の技術のほうが、より優れているのだろうが・・・・?
それは、私の回顧主義というフィルターのなせる技なのだろう。
特に、アジェの写真が、心に残るのだ。
殆どの写真がパリの光景なのだが、その中に人物が移っていないのだ。
どことなく、孤独な空間・・・それは、人が居ることで減殺される「何か」、それが無いことによる「場」なのだろうか?
やはり、自分の中の孤独を投影しているに過ぎないのかもしれない。
そんな中、ECMレコード在籍中のパットメセニー(GROUP)を聞きながら、そのジャケットに見入っていた時代(時)を思い出すのだ(やはり、LPのジャケットの方が良いのだ・・・大きいのでね)。