110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

依存症(信田さよ子著)

 本書は文春新書2000年刊行のもの。

 以前、自分が依存症だと書いて、その目から見た日本も国債発行(借金)依存症ではないかと書いたことがある。
 そんなわけで、自分のことを見つめるために、本書を読んでみる。

 面白いのは、本書では、必ずしも一般的でないかもしれないとしながらも、依存症を本人の傾向、例えばアルコールへの依存とか、ギャンブルの依存などで判断するのではなく、そのことによって、周りの人、家族だとか両親に迷惑が掛かることを指して「依存症」としている。
 本書でも、孤独なお金持ちが、城のような豪邸の中で、アルコール三昧でアル中になって、たまには酩酊の上暴れてその辺のモノを壊しても、肝臓を壊して吐血しながら野垂れ死にしても、それは本質的に依存症とみなしていないところが興味ある(着眼)点だ。

 そうすると、先ほどの論旨に戻るが、そろそろIMFなどから、財政赤字是正のコメントが出された「わが国」は、国債依存症と呼んでもよさそうな気がする。
 多分、頭では(政治家や官僚など、多人数が関与しているので、単に頭と呼んで良いかは微妙だが)わかっていても「どうにもとまらない」傾向があるのではないか?
 
 そして、本書では示唆的に書かれているが、例えば、ギャンブル依存症で借金を重ねてどうしようもない状態で救済を求めてきた「当人」に対して、その借金を肩代わりしてはいけないとしている。
 すなわち、その傾向は直らないというのだ。
 本人がものすごく反省している様に見えるので、可愛そうになって助けてやると、再び、同じことをやり始めるというのだ。
 そして、誰も助けてくれなくなったとき、それは、家庭崩壊という(最低の)状況かもしれないが、そこで、初めて本人が自覚するということのようだ。
 さて、確かに、わが国は歳入が少ないので、毎年赤字国債という異例の手段を使い続けている、そして、今度は、消費税を上げようとしている。
 表向きは、理性的な論旨になっているのだが、依存症的な傾向だとすると、この対応はどうか?

 文化や集団に対して、フロイトのように精神分析的な手法を駆使するのにはご批判もあろうが、さて、いかがだろう?