110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

精神の離陸(清水幾多郎著)

 本書は竹内書店1965年刊行のもの。

 本書は、面白い本だ、たぶん探しても100円もすまいと思って検索したらプレミア価格がついていた。

 それでも、面白いのは、本書に収録されている「理論と実践」や「模写と抽象」という2編で、いわゆるイデオロギーや抽象的な考えと、経験や実践、具体的といった言葉の対比を通して、(本書を読んだ後ではとても使いにくい言葉になった)「リアリズム」について相当な考察ができるからだ。

 当時のマルクス主義を批判して、いわゆる抽象的に考察され、さらに「体系化」されたもの(社会主義共産主義という理想、ユートピア)は、その体系と敵対する考え方(資本主義とか自由主義)を排除する傾向にあるとする。
 しかし、現実的には、(私の体験でもそう思うのだが)、理想的に(まさに言葉のごとく)事が起こると言うことのほうが、まれなのではないか?
 それは、理想と言うものが、現実に含まれる、細かい要素のうちから、様々なものをふるい落として、ごく少数の、比較的大きな影響があるような要素だけをとりあげる(要素還元主義と書けば早いな)からではないか?
 短期間(時間)ならば、誤差は少ないが、その小さな狂いも長期間には大きな狂いにあんることは、宇宙衛星などの制御の難しさと共通だ。 
 だから、体系化された社会主義には、硬直性や限界性があるとするのだ。

 まぁ、人類がその理想的な状況と現実が一致する世界を実現できるならば、そのときの世界はというような問題提起は、近未来小説などにいくつか散見される(明日が決っているような世界ならば、早速死んでしまいたい・・・それも、計算済みか?)。

 さて、本書の最終章は「ピュロクラシー」と言う題名で、この題目についてさまざま名考察があるので興味をもたれた方は、図書館などで探して読むと面白いのだが、ここではこんな引用をしていて興味を引いた「マックス・ヴェーバーにおけるピュロクラシーの観念を論じながら、パーソンズは実に曖昧な態度で合理化の法則と熱力学の第二法則のパラレリズムを説いている」その後には「どう考えても、合理性の増大とエントロピーの増大とは、アナロガスどころか、まったく正反対なもののように思われる」と批判している。
 しかし、なんとなく「現在は」このパーソンズの言葉があたっている時期にあるのではないかと思うのだ。
 (最近の政治は、合理的な言説は多いのだが、実質は伴わず、結論として貨幣換算すると累積(財政)赤字を更新する、これは、非効率ではなく負効率化もしれないが、それでも、官僚もしくは官僚制は『合理的』だなぁ)

 ただし、その土台として、経済(成長)や人口の増加(人口比率)のような、もしかすると、マルサスのような根本的な何かが横たわっているのではないかとも思うのだ。
 さぁ、それではここで生命力を回復するには何をすれば良いのか(ドラキュラ映画みたいなテーマだな)?

 以下は、ふと頭をよぎった悪魔のささやき・・・

 「合法的な他者侵略」