110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

この書物を愛する人たちに

 愛と死の伝承(諏訪春雄著)角川選書・・・昭和43年版刊行のものを読んだ。
 この本自体を紹介するつもりはなかったが、この本の終わりの方に「この書物を愛する人たちに」を表題とする一文があった。
 既に、読書する人も減り、この内容にも全く動揺しない人が多かろう、しかも、多少は商売の香りはするものの、こんな素敵なうたい文句も今となっては珍しいだろう。
 読書することに貪欲でいられた時代、その時代は今から比べれば多分貧乏な時代であったろう、しかし、ある意味では、とても幸せだった時代なのかもしれない。
詩人科学者寺田寅彦は、銀座通りに林立する高層建築をたとえて「銀座アルプス」と呼んだ。戦後日本の経済力は、どの都市にも「銀座アルプス」を造成した。アルプスのなかに書店を求めて、立ち寄ると、高山植物が美しく花ひらくように、書物が飾られている。印刷技術の発達もあって、書物は美しく化粧され、通りすがりの人々の眼をひきつけている。しかし、流行を追っての刊行物は、どれも類似的で、個性がない。
 歴史という時間の厚みのなかで、流動する時代のすがたや、不易な生命をみつめてきた先輩たちの発言がある。また、静かに明日を語ろうとする現代人の科白がある。これらも、銀座アルプスのお花畑のなかでは、雑草のようにまぎれ、人知れず開花するしかないのだろうか。マス・セールの呼び声で、多量に売り出される書物群のなかにあって、選ばれた時代の英知の書は、ささやかな「座」を占めることは不可能なのだろうか。
 マス・セールの時勢に逆行する少数な刊行物であっても、この書物は耳を傾ける人々には、飽くことなく語りつづけてくれるだろう。私はそういう書物をつぎつぎ発刊したい。真に書物を愛する読者や、書店の人々の手で、こうした書物はどのように成育し、開花することだろうか。私のひそかな祈りである。「一粒の麦もし死なずば」という言葉のように。こうした書物を、銀座アルプスのお花畑のなかで、一雑草であらしめたくない。
 一九六八年九月一日 角川源義