110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

#哲学

断章47、48

断章47 「上手に話すけれども、上手に書けない人たちがある。それは、場所や一座の人々が彼らを熱中させ、その熱がないときには見いだされないものを、彼らの精神から引き出すからである」(全文) 断章48 「ある論述のなか」で、文法や言葉の使い方の間違い…

断章41~46

断章41は、少し調べるとまさに文が途切れているらしい、しかし、面白い視点がある。 「人間は意地悪が好きである」それは、本当に不幸な人に対してではなく「高慢な幸せ者に対してである。そこをはずすと見当違いになる。なぜなら、邪欲はわれわれの動きの源…

断章37~39

断章37は「すべてを少しづつ」と始まる、ここのところ「オネットム」という言葉の意味について考えさせられたのだが、多分、本断章がその答えなのだろう。 それは、「人は普遍的であるとともに、すべてのことについて知りうる」もし「すべてを知りうることが…

断章34~36

断章34は、人についてまわる肩書きについて述べているようだ、「詩人」や「数学者」というような「看板」を上げなければ「世間では」通用しないが、「普遍的な人(普通の人)」はそんなことにはお構いなく、必要な時に、自分の能力を示すのだ、決してこれみ…

断章31~33

断章31は「われわれがキケロのなかで非難するあらゆるいつわりの美には、それに感心する人があり、しかも多数ある」とある。 様々に解釈できよう「蓼食う虫も好き好き」でもありえるし、流行作家は必ずしも良質な作品であるかどうかは疑わしいでも良いように…

断章27~30

断章27は「雑、言語」とはじまる。 「言語にむりじいして対照法をつくる人は、均整のためにめくら窓をつくる人と同じことをやっている」 それは「正しく話すことではなく、修辞学の型に正しくのっとることなのである」 混沌に穴を開けると・・・・ 断章28は「均…

断章24~26

断章24は「言語」と始まるのだが言語とは違う話になる。 断章の構造としては、精神は基本的に集中していないといけない、ただし、精神も疲労(?)するので「疲れをとるため以外は」と注釈がつく、さらに、疲れをとるには適当な時期があるというのだ。 なぜ…

断章22、23

断章22は、新しい思想(別の思想)を、新しい言葉を使って表現するのではなく、古くからある言葉を利用しその配列を変えることで実現できるのは良いという感じか。 確かに、現在の日本語を考えるとそう思う。 断章23も断章22と同じようなこと。 (眠いのでこ…

断章15~21

断章15は説得の技法か「権力によらず優しさで、王としてでなく僭主として、説得する雄弁」 この断章には付録がついている、または、その付録を断章16としている版もあるようだ。 断章15(付録) 雄弁とは、 ]辰靴ける相手が苦労しないで楽しく聞けるように…

断章11~14

断章11は、ここでは当時の時代性から「演劇」を取り上げているが、現代風に直せばフィクションとしての物語(ドラマ、映画、DVD・・・等々)は、ことさら恋愛の美とか快楽を強調して、人の思考に影響をもたらしてしまう、それが過分に影響を与えてしまうことへ…

断章九、十

この断章は、他のブログでも引用されていた、なかなか趣のあるものだ。 「人を有益にたしなめ、その人にまちがっていることを示してやるには」・・・「彼がその物事をどの方面から眺めているかに注意しなければならない」 なぜなら、「それは通常、その方面から…

断章五~八

断章五は、他人が、(自分の)著作を判断することについての一章である。 ここでは、時計を利用して時間を判断する事と、主観的に時間を判断することとの差を比喩として取り上げて、批判している。 だから、時計、すなわち基準は必要なのだと考えられるのだ…

断章三、四

断章三では、まず「直感で判断する習慣のついてる人々」について言及している、これらの人は、「推理に関することがらについて何もわからない」それは「一目で見ぬこうと」して「原理を求める習慣がついてないからである」ということになる。 これと対比して…

断章二

断章二は、「正しい判断のいろいろ」という一節からはじまる。 これを受けて「ある人々は、有る秩序の事物において正しいが、他の秩序ではそうでなく、むちゃをする」となる、当たり前のようななんだか変な文章で、ここでひとまず途切れる。 ここでは断章一…

断章一

第一章には、断章一から断章五十九までが収められ「精神と文体とに関する思想」という表題が付いている。 また、悩ましい表題だ「精神」と「文体」とはどういう関係なのだ、精神と言葉(ロゴス)の関係なのか、いや、文体(スタイル)というのならば、また別…

パンセを読む

パスカルの「パンセ」を少しずつ読んでいこうと思う。 使用するのは、中公文庫版(1973年初版、私のは2003年の21刷)、翻訳は、前田陽一、由木康の両名によるもの。 本書でを通じて知りたいことは「分際」。