破局と渦の考察(宇野邦一著)
最近、読書が変わってきたのか?今週初めての読了。
映画、絵画、舞踊、小説、哲学、言葉、身体などについて、様々な視点から評論していく。
いわゆる、ある芸術家の芸術というものが、現状の形式(構造)に適合するか、或いは、新しいジャンルに飛躍するかしていくにせよ、前者はそのまま、後者も新しいモノを創造した段階で、形式(構造)化してしまう、そうすると、その領域に安住することは、それの中に、その形式を崩すものが生まれてきてしまう可能性を含んでいる。
他人に思想(画)を伝える的確な方法が無い以上、画像や、色、線、文字、言葉、形の制約の枠を飛び越えていく事が必要になってくる。
それが、逆説的に、その形式に縛られるが故に「特殊な作品」が生み出される。
不自由だから、自由が表現できるのだろうか?
多分そうなのだろう。
本作で、いろいろな考え方、視点がある事をあらためて感じた。
また、その表現についての裏表についても。
本作の中では、多数の著作が紹介されている。
この中では「市村弘正」という作者に興味を持った。
自分が、現在のところ、「ペシミスト」であることの証拠なのだろう。
映画、絵画、舞踊、小説、哲学、言葉、身体などについて、様々な視点から評論していく。
いわゆる、ある芸術家の芸術というものが、現状の形式(構造)に適合するか、或いは、新しいジャンルに飛躍するかしていくにせよ、前者はそのまま、後者も新しいモノを創造した段階で、形式(構造)化してしまう、そうすると、その領域に安住することは、それの中に、その形式を崩すものが生まれてきてしまう可能性を含んでいる。
他人に思想(画)を伝える的確な方法が無い以上、画像や、色、線、文字、言葉、形の制約の枠を飛び越えていく事が必要になってくる。
それが、逆説的に、その形式に縛られるが故に「特殊な作品」が生み出される。
不自由だから、自由が表現できるのだろうか?
多分そうなのだろう。
本作で、いろいろな考え方、視点がある事をあらためて感じた。
また、その表現についての裏表についても。
本作の中では、多数の著作が紹介されている。
この中では「市村弘正」という作者に興味を持った。
自分が、現在のところ、「ペシミスト」であることの証拠なのだろう。