110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

アフターコロナという言葉に潜む違和感

今日とあるTV(NHK)を見ていると、コロナ禍について触れているものがあった。

全体の趣旨としては、コロナ禍の後に対する希望を述べていたようだが、話の中に「コロナ禍になったから、はじめてそういう状況になったわけではないこと」があるというような事を言っていて「なるほど」と思ったのだ。

例えば、コロナ禍であるから、現役世代が苦しいのではなくて、コロナ禍が先々に現役世代が被るであろうことを、前倒しに見せているということも多々あるのではないだろうか?

言葉では非常に簡単だがその奥が深い「少子高齢化」も一つのキーワードで、その、少子高齢化がコロナ禍という(比喩的に)触媒を通すと、現在のような状況になるのではないのか?

このTVのコラムでも言っていたが、日本は、人々の間が、疎遠になっているのではないか?

過疎化が進み、人とのつながりが希薄になってきた状況で、コロナ禍が起こり、逆説的に「三密」を避けるということになったのだが、実際、人々が疎遠になっているから、却って、他人に感染させても構わないという理屈が出てくるのではないだろうか、特に、顔も素性もしらない他人ならばなおさらそうなってしまう。

それが、今の的確な世論の姿なのかもしれない。

だから「アフターコロナ」と言う言葉で、あたかも、コロナウィルスのおかげでこうなってしまったという意味合いを含ませる一方、それ以前もあった問題点を見えなくしてしまうことがあるという危険性を十分に認識しておく必要がありそうだね。

まぁ、世の中が、直感的で、簡単に回答が出せない問題について、忍耐深く対応できなくなったということでもあるのだろう。