110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

勘の研究(黒田亮著)

 本書は昭和8年に刊行されたものだが、現在は講談社学術文庫で読むことができる。
 私の読んだものは古書で、昭和55年の第1刷で、帯には川上哲治氏の推奨文が書かれてあった。

 「勘」という事だが、どちらかというと、骨(コツ)、極意、悟りの方についての研究にといった方が良いかもしれない、剣術、能、荘子、禅などについての極限(境)の説明はとても参考になるところであり、昭和8年刊行という古さを感じさせない。
 内容については、興味のある方は、毎度おなじみの大書店で立ち読みしていただくとして、本書を読んでいて、ふと考えたことがある。
 それは、ちょうど、読んでいる最中に、東京国際女子マラソンをやっていたのだが、そこでの「野口みずき」と「渋井陽子」の競いかたについてだが、渋井さんは明らかに野口さんを目的としていた、テレビなどでも明らかにライバルとして名指してコメントしていたと思う、片や野口さんは、余りコメントがあったようには思えなかった。
 そして、二人の走りを見ていて、あくまで結果論を元に、私見でいうと、野口さんは自分に対して走っていたように思う、渋井さんは、目的に対して走っていたように思う。
 二人とも、その「技」については甲乙が付けられないものを持っていると思うが、そういう、限界での競いかたの違いが、その結果に出てしまったのでは無いか?
 実は、そのことについて、更に、驚異を感じたのが、世界柔道の時の「谷亮子」であった、見ている方が却って舞い上がってしまう程、本人は落ち着いている様に見える、そして、悉く、相手が焦って仕掛けて自滅していくという様をみせつけられたのだ。

 たとえ敵がいたとして、そして、その力が伯仲すればするほど、相手は自分自身なのでは無いかと思ってしまう。
 私には、彼女たちのアスリートの様な能力は無いが、それでも、歩くときには、自分と対峙することになる、そして、簡単なことだが、自分が折れるともう歩けなくなる、相手がいるともっと複雑な状況だろうが、それでも、舞台の上にあがれば、今まで自分のやってきたこと以上のものは出ないはずだ、だから、自分に対峙することになろう。
 
 そこには、本書にも表われる「奪人不奪境」そして「人境倶奪」という見解がでてくるのでは無いだろうか?