死霊(埴谷雄高著)
本書は少し変わった読み方になった、まず、「死霊(1976)」で、1~5章、そして、単独の「死霊第6章」を読んだ後、講談社文芸文庫版「死霊掘廚如7~9章(絶筆)を読んだ。
普通の人は、講談社文芸文庫版「死霊機銑掘廚覇匹爐里適当だろう。
まさに、20世紀に生まれた「形而上」小説。
今世紀に、このジャンルで匹敵するものが出る可能性は少ないと思う。
ただし、著者が予定した15章はついに書かれないまま終わったのだから、誰かがこの作品を引き継ぐことはあるのかもしれない(しかし、簡単なことではないだろう)。
「文芸春秋」(2008年12月号)の「死ぬまでに絶対読みたい本」の中に、山内昌之氏が本作を上げている。
まずは、読んでみる他はないであろう。
ある人が、この「死霊」について、その表現の特異さを揶揄するように引用していたブログを見たが、基本的に「形而上」小説という根本をきちんと抑えないと、このような捕らえ方をしてしまうことだろう。
私自体も、10年前に本作を読んでいたら、今とは異なった薄い読み方になってしまったことだろう。
(今でも十分とは言えないが)
(多分)翻訳すら適わない作品を、日本語で読めることに感謝している。
普通の人は、講談社文芸文庫版「死霊機銑掘廚覇匹爐里適当だろう。
まさに、20世紀に生まれた「形而上」小説。
今世紀に、このジャンルで匹敵するものが出る可能性は少ないと思う。
ただし、著者が予定した15章はついに書かれないまま終わったのだから、誰かがこの作品を引き継ぐことはあるのかもしれない(しかし、簡単なことではないだろう)。
「文芸春秋」(2008年12月号)の「死ぬまでに絶対読みたい本」の中に、山内昌之氏が本作を上げている。
まずは、読んでみる他はないであろう。
ある人が、この「死霊」について、その表現の特異さを揶揄するように引用していたブログを見たが、基本的に「形而上」小説という根本をきちんと抑えないと、このような捕らえ方をしてしまうことだろう。
私自体も、10年前に本作を読んでいたら、今とは異なった薄い読み方になってしまったことだろう。
(今でも十分とは言えないが)
(多分)翻訳すら適わない作品を、日本語で読めることに感謝している。