日本語の変遷(金田一京助著)
本書は1949年日本放送出版協会から刊行されたもの、現在は講談社学術文庫版で読める。
そんなに古い本を今読んでも、新しい言語学により変わってしまったところもあるのではなかろうか?
そんな事を考えながらも、古い本を読むことを覚えてしまった。
そして、日本語に一番近い言葉は、ウラル・アルタイ系の朝鮮語だという一文をを発見するに付け、言葉というものについて考えてしまうのだ。
また、日本語の母音も時代が経るにつれ少なくなっていく事を見ると、ある意味、簡略化=言語の退化だと、短絡的に考えてしまう。
しかし、本書ではそういう結論を急ぐ姿勢をいましめている。
言葉は、省略やなまりなど、様々に変化しながらも、統一に向かっているというのだ。
変化については、例えば、戦後と戦前の小説を読み比べるなどするとわかるかもしれない。
いや、最近でも、20世紀と21世紀では、文体が違っているようにも思う。
・・・・最近の本の方がわかりやすいのだ。
でもそれは、(逆説的に)読者を信頼していないからわかりやすいのかもしれない。
それも、単なる過当競争かも知れないけれども。
そんなことを考えたのだ。
そんなに古い本を今読んでも、新しい言語学により変わってしまったところもあるのではなかろうか?
そんな事を考えながらも、古い本を読むことを覚えてしまった。
そして、日本語に一番近い言葉は、ウラル・アルタイ系の朝鮮語だという一文をを発見するに付け、言葉というものについて考えてしまうのだ。
また、日本語の母音も時代が経るにつれ少なくなっていく事を見ると、ある意味、簡略化=言語の退化だと、短絡的に考えてしまう。
しかし、本書ではそういう結論を急ぐ姿勢をいましめている。
言葉は、省略やなまりなど、様々に変化しながらも、統一に向かっているというのだ。
変化については、例えば、戦後と戦前の小説を読み比べるなどするとわかるかもしれない。
いや、最近でも、20世紀と21世紀では、文体が違っているようにも思う。
・・・・最近の本の方がわかりやすいのだ。
でもそれは、(逆説的に)読者を信頼していないからわかりやすいのかもしれない。
それも、単なる過当競争かも知れないけれども。
そんなことを考えたのだ。