110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

自然と人生(徳富蘆花著)

 本書は岩波文庫版で読む。

 現在から見ると、古い文体であり必ずしも読みやすい本とはいえないかもしれない。
 そして、私自体はこの内容を学術的に分析する知識も無い。
 しかしながら、ここに描かれる自然が「人」の近くにあると感じられるのだ。
 それは著者の感覚の鋭さ故のものなのかもしれないのだが。

 確かに、東京都内に住むとこのような感覚は殆ど感じられない、私が求めることができるのは、鳥の泣き声を聞いたり、今の時期では、家の躑躅(つつじ)が綺麗に咲いていることを見るぐらいだ、あとは、暑いとか寒いとか、花粉が多いだとか少ないだとか、本当に風情がなくなった。
 しかし、自然はあるのだ、良くも悪くも・・・・先日の大地震で、そのことを再認識したのだ。

 東山魁夷の著作を読んでも、はるか以前より日本の自然の衰退を嘆いていた。
 私たちは、自分の生まれ、そして意識が芽生えた時を、一つの指標としてしまうのだが、それがもしかすると先人の生活環境と比べて、著しく貧しいものであったとしても、そのことにはなかなか気づかないものなのだろう。
 
 本書より、一つ引用してみる。 
 寒星
 寒星一天、深黒なる屋根の上、深黒なる山の上、到る所にして星ならざるはなし。葉落ちたる欅の梢、大なる箒の如く空を摩して、枝々星を帯びたり。静かに中庭に立てば、山頂のあたりに波濤の如く夜あらしの過ぐるを聞く。殷々として遠雷の如きは、隣家夜籾を磨るなり。(十二月五日)
 計画停電以降、少しは星が見えるようになったが、まだまだ足りない、そして「中庭」なる言葉が変換できないことに(些か)驚きを感じる・・・いや、既に庶民にとって、それは隔世の感覚なのであろうか?