カレワラ(森本覚丹訳)
本書は講談社学術文庫版で読む「カレワラ」とはフィンランドに伝わる叙事詩であり、本書のオリジナルは昭和12年に「カレワラ」出版後100年を記念してフィンランド政府の出版費用助成で成った超豪華版であったのだ、それがこうして普及版として読むことができることは幸せなことだ、他に岩波文庫版もありそちらの方が本書よりも読みやすいという指摘をされる方もいたことは付記するも、私は森本訳で十分堪能した。
講談社学術文庫版は上下二分冊で上巻は今年の1月に読んでいるのだがなかなか下巻を手にすることがなかった、それは「フィンランドの国民的叙事詩」と言われても日本人の私にはあまり馴染みのない話だし非合理的なとりとめもない物語りに飽きたことが原因だと思う。
しかし、再び気を取り直して下巻を読んでみると、今度はおもしろいと思えてきたのだ、翻訳者の(多分)文語調の訳にもなれたのかもしれないし「叙事詩とはこういうものなんだ」というお約束みたいなものに気づいたからかもしれない、そう、その世界にどっぷりと浸かってしまえば良かったのだ(ただ、嫌いな人はアレルギーを起こすだろうけれど)、ワイナモイネンもイルマリネンもレミンカイネンもそれぞれ人間的な強さも弱さを持った英雄の活躍に浸れば良いのだ、そして、私的には「サンポ戦争」を巡る一連の冒険譚が気に入っている(いちばん英雄譚らしいし)。
下巻の最後には翻訳者の手による「『カレワラ』による音楽」という一編がある。
「カレワラ」の世界を展開した音楽、特にシベリウスの音楽を評しているところを読むと芸術の相互作用について思いをめぐらすことができる。
また機会があれば、とても悲しい結末の「クレルウォ」の話を読み返すとしようか!
講談社学術文庫版は上下二分冊で上巻は今年の1月に読んでいるのだがなかなか下巻を手にすることがなかった、それは「フィンランドの国民的叙事詩」と言われても日本人の私にはあまり馴染みのない話だし非合理的なとりとめもない物語りに飽きたことが原因だと思う。
しかし、再び気を取り直して下巻を読んでみると、今度はおもしろいと思えてきたのだ、翻訳者の(多分)文語調の訳にもなれたのかもしれないし「叙事詩とはこういうものなんだ」というお約束みたいなものに気づいたからかもしれない、そう、その世界にどっぷりと浸かってしまえば良かったのだ(ただ、嫌いな人はアレルギーを起こすだろうけれど)、ワイナモイネンもイルマリネンもレミンカイネンもそれぞれ人間的な強さも弱さを持った英雄の活躍に浸れば良いのだ、そして、私的には「サンポ戦争」を巡る一連の冒険譚が気に入っている(いちばん英雄譚らしいし)。
下巻の最後には翻訳者の手による「『カレワラ』による音楽」という一編がある。
「カレワラ」の世界を展開した音楽、特にシベリウスの音楽を評しているところを読むと芸術の相互作用について思いをめぐらすことができる。
また機会があれば、とても悲しい結末の「クレルウォ」の話を読み返すとしようか!