110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

魂の美と幸い(田島正樹著)

 哲学についての各種エセーの書かれた著作。1998年初版で、私のところへはまたしても「古本屋」経由で手に入る。わき道にそれるが、古本になっても読める本と読めない本というのは厳然として存在していて、特に「旬」が過ぎると読めないのが「ビジネス書」関係(基本書は別だが)で、意外と色あせないのが「哲学」「歴史」などではないのかと思う。
 さて、本書には、「教育について」「イエス論序説」「マルクス恋愛論」「魂の美と幸い」「真理についての試論」「ヘーゲルの鳥モチ」「カフカ・ノート」「ライプニッツ幻想即興詩」「イロニーとユーモア」「忠臣蔵」「笑いについて」と11編のエセーが盛り込まれている。
 詳細を要約する能力は、今の私には無いので恐縮なのだが、全体的にひとつ気づいたのが「哲学」に関するある種の「無力感」だ、それは各文章のすみに「ちらり」と顔を出す。「哲学者」が、「真実」を見つけ出せる希望がなくなったかのような感じががするのだ。20世紀にゲーデルが「不完全性定理」によりその道を閉ざされてしまったのだろうか?
 しかし、「哲学」はやはり必要であると思う。いかに、プラトンアリストテレスの論理展開が現代の目から見て「問題」があろうと、もともと、不完全な「人間」のレベルを少しでもあげる事ができれば良いと思う。もとより、余りに「抽象度」が上がり「宗教」と識別できなくなる「危険性」があろうとも、「悩みがある」人の救いになるならば良いのではないだろうか?
 「カフカ・ノート」を読んでいて、言葉の中に潜む意志の疎通の問題を考えたが、例えば、同じニュースを見ても、その「解釈」は人により「正反対」になる場合もあリ得る。だから「言葉」が伝わるという事は、かように難しい事であるが、その反面、ひどく簡単に「発する」ことが出来る。
 最近は、(残念な事に)「文字(活字・本)」は廃れてきたようだが、「言葉」は安易に使われている。「言葉」の最も怖いところは、それが「記憶」され「濃縮」され「純化」される事だ。
 塩野七生さんも、こんな趣旨の事を書いていた「叩かれた痛みは忘れるが、侮蔑された言葉は忘れない」と、それに対して何を持って歯止めをかけるのか?「哲学」もその選択肢だと思う。
 今回は、わき道にそれ過ぎた・・・「道草」だ。