この人を見よ(ニーチェ著)
ヘーゲルの後にニーチェは出来すぎ?というわけではなく、単なる偶然で、これも本を整理していて出てきたもの、以前はどういう心境で読んでいたのだろうか?
「知覚の呪縛」という作品など、いわゆる狂気を持つ人の言葉や文章に触れる機会が最近出てきた、ニーチェも本書が最後の著作ということで、まさに正気か狂気かの境で執筆されたものだ。
しかし、その内容はそういう偏見でみると「危うげ」だが、論調は激しく、迫ってくる内容になっている。
そして、当時のドイツの、ある意味道徳、文化基盤である「キリスト教」の呪縛を批判していく、そして、「善人」という人たちにも批判がおよぶ、
今回、再び読んでみて、意外と納得してしまうことが多くなっていたことに気づいた。
しかし、
「知覚の呪縛」という作品など、いわゆる狂気を持つ人の言葉や文章に触れる機会が最近出てきた、ニーチェも本書が最後の著作ということで、まさに正気か狂気かの境で執筆されたものだ。
しかし、その内容はそういう偏見でみると「危うげ」だが、論調は激しく、迫ってくる内容になっている。
そして、当時のドイツの、ある意味道徳、文化基盤である「キリスト教」の呪縛を批判していく、そして、「善人」という人たちにも批判がおよぶ、
善人というのは自分の生存を全うするためとあれば、真理を犠牲にするだけでなく、未来をも犠牲にする人たちなので、ツァラトゥストラはとりわけ彼らを最も害のある種類の人間と感じている。
今回、再び読んでみて、意外と納得してしまうことが多くなっていたことに気づいた。
しかし、
・・・結局、書物を含めてあらゆる物事からは、誰にしても、自分がすでに知っていること以上を聴きだすことは出来ない相談だ。・・・
まだまだ、修業が足りないようです。