(現代語訳)清沢満之語録(清沢満之著)
本書は2000年刊行の岩波現代文庫版。
本書は、実際に(違和感があるかも知れないが)、今村仁司氏が、擬古分体や英訳されたものを、読みやすく、日本語から日本語(現代語)へと翻訳してくれている。
宗教(哲学)の文章を見ると端的に分かるのだが、古い文献を読むことが困難なことがある。
実は、それだけ、日本語についても変化しており、もしかすると、日本語よりも、思想などについては、英語などの他国語で読んだ方が良いと言う人も現存することだと思う。
さて、本書は、丁度前回紹介した「歴史的意識について」と正反対の視点にあるように思う。
清沢氏は、ここで、宗教と哲学の理論的な橋渡しをしようとしている。
しかし、それぞれを、理屈で強引にとりまとめるという立場ではない、それぞれの、存在意義を定義して、その上で、宗教者の立場から問いかけてくる。
宗教と哲学の差異については、「・・・哲学は無限を探求するのだが、宗教は無限を信じることである。」と本書の中にある。
宗教における思想的なことについては、以前にも唯識などの本をとりあげたことがあるので、その意義に関しては好意的なところもあるのだが、問題は、何故、それが教団(集団)という形態を取る時に、実社会に影響を及ぼすことがあるのだろうか?それが、道理にかなったことなら良いのだが、しばしば、その教義からは想像も出来ない程、残酷な対応になるのは何故だろうか?
そんなことを考えてしまう。
本書は、実際に(違和感があるかも知れないが)、今村仁司氏が、擬古分体や英訳されたものを、読みやすく、日本語から日本語(現代語)へと翻訳してくれている。
宗教(哲学)の文章を見ると端的に分かるのだが、古い文献を読むことが困難なことがある。
実は、それだけ、日本語についても変化しており、もしかすると、日本語よりも、思想などについては、英語などの他国語で読んだ方が良いと言う人も現存することだと思う。
さて、本書は、丁度前回紹介した「歴史的意識について」と正反対の視点にあるように思う。
清沢氏は、ここで、宗教と哲学の理論的な橋渡しをしようとしている。
しかし、それぞれを、理屈で強引にとりまとめるという立場ではない、それぞれの、存在意義を定義して、その上で、宗教者の立場から問いかけてくる。
宗教と哲学の差異については、「・・・哲学は無限を探求するのだが、宗教は無限を信じることである。」と本書の中にある。
宗教における思想的なことについては、以前にも唯識などの本をとりあげたことがあるので、その意義に関しては好意的なところもあるのだが、問題は、何故、それが教団(集団)という形態を取る時に、実社会に影響を及ぼすことがあるのだろうか?それが、道理にかなったことなら良いのだが、しばしば、その教義からは想像も出来ない程、残酷な対応になるのは何故だろうか?
そんなことを考えてしまう。