科学と方法(ポアンカレ著)
本書は岩波文庫版で読む。
本書は哲学であろうか、どうもそのように読めるのだ。
原書は1908年に刊行されたから、未だ、哲学色が残っているのであろうか。
著者は、最後の「総括」という章にて、本書の目的は学者が研究するために選び出す題材を選ぶための指針を示している、本書の言葉で置き換えると「事実のなかから選択を行うためには、如何なる方針に進むべきであるか」という事だ。
それは「産出力の大きい事実」を取り上げるべきだとする、そう、些細な事実よりもより普遍的な事実を捉えろという事なのだろう。
しかし、その際、基本的な論証の方法は帰納法、すなわち、特殊から普遍への道筋をとるものであり、数学的帰納法のように、普遍から特殊へという方法論は成り立たないとするのだ(ラッセル、ホワイトヘッド等への批判)・・・なるほど(とどめはその後のゲーデルか)。
そして、終わりのほうに「フランスの測地学」について記している少し違和感のある章があるのだが、これは、著者の思想の一つの傾向であろうか、すなわち、測地結果が誤っていることがある、しかし、ある目的のためになされた行動、その(データの)蓄積、そのための名も無き人の行動があるのだが、それが、結果として「産出力の大きい事実」への架け橋となれば良いという、なんだろう、実践を重んじる意志を感じるのだが?・・・いかがだろう。
ちなみに、私的に興味があるところを書けば、第三篇、第二章「力学と光学」では、アインシュタインの決定稿が出る前での、相対性原理(ローレンツなど)の考察が出てきて興味深く読む事ができた(逆に、結論を知っているので退屈される人もいるでしょうが)。
本書は哲学であろうか、どうもそのように読めるのだ。
原書は1908年に刊行されたから、未だ、哲学色が残っているのであろうか。
著者は、最後の「総括」という章にて、本書の目的は学者が研究するために選び出す題材を選ぶための指針を示している、本書の言葉で置き換えると「事実のなかから選択を行うためには、如何なる方針に進むべきであるか」という事だ。
それは「産出力の大きい事実」を取り上げるべきだとする、そう、些細な事実よりもより普遍的な事実を捉えろという事なのだろう。
しかし、その際、基本的な論証の方法は帰納法、すなわち、特殊から普遍への道筋をとるものであり、数学的帰納法のように、普遍から特殊へという方法論は成り立たないとするのだ(ラッセル、ホワイトヘッド等への批判)・・・なるほど(とどめはその後のゲーデルか)。
そして、終わりのほうに「フランスの測地学」について記している少し違和感のある章があるのだが、これは、著者の思想の一つの傾向であろうか、すなわち、測地結果が誤っていることがある、しかし、ある目的のためになされた行動、その(データの)蓄積、そのための名も無き人の行動があるのだが、それが、結果として「産出力の大きい事実」への架け橋となれば良いという、なんだろう、実践を重んじる意志を感じるのだが?・・・いかがだろう。
ちなみに、私的に興味があるところを書けば、第三篇、第二章「力学と光学」では、アインシュタインの決定稿が出る前での、相対性原理(ローレンツなど)の考察が出てきて興味深く読む事ができた(逆に、結論を知っているので退屈される人もいるでしょうが)。